2008年12月29日月曜日

一年のおしまいに向けて。



今年一年、また色々なものに触れてきた両手を見てみる。

広げたこの掌に残っているものは、やはり温もりだった。

たった一度の頷きで、優しい笑顔で、心強い言葉で、

今年も沢山支えてもらった私。

その温もりが今この掌に残ってる。

なーんてあったかいんだろ。

誰かにとっては私もそう在れたのだろうか。

毎年毎年ありがとうが増えていくから、本当に幸せだなあと思います。

良い一年でした。

今年もどうもありがとう。

今年も有り難うございました。

2008年、今日を入れたらまだ残り3日ありますが、

みなさまどうぞ、よいお年を。

2008年12月12日金曜日

星。


さっきから気になって仕方がない。


部屋の窓からちょうど見えるひとつの星。


強い光で絶えず瞬いています。


すごい存在感。




今わたしたちが見ている星の光は何年も昔の光だという。


私は星には詳しくないけれど、


その光がどれくらい前のものかは


地球との距離によって変わると習ったのは覚えてる。




1光年離れていれば1年前。


100光年離れていれば100年前。


何万年、何億年。




あれはどれくらい離れた星だろう。


時空を越えて届いた光でこんなに誰かを感動させる。


自然にしか成し得ない神秘だね。




今の時期は街のイルミネーションもきれいだけど、




たったひとつのあの柔らかい光の方が、


なんだか心に染みる。


2008年12月9日火曜日

怒濤の合格。


みすず学苑の広告。

総武線の電車のドアに貼ってあってよく見るんだけど、

私はあの広告が大好き。


ヤマトタケルとか卑弥呼とか、はたまたダヴィンチだとか。

孔子も見た気が。

とにかく色々な歴史的人物、それも普段なかなか起用されないタイプの

歴史的人物が(に扮した人達が)それぞれに表情やポーズをとっている。

そのわざとらしさがすごくいい。

いいのですよ。

ヤマトタケルが大体レギュラー的に入っている。

耳の横で髪をキュッと縛って。

今日見たバージョンは

クロマニヨン人からダーウィンまでのラインナップとなっていた。

もちろんヤマトタケルもね。


そのバイタリティ溢れる広告に、いつも二駅の間見入っています。

それにしても、とても気になる。

何が気になるって、その撮影現場が気になります。

2008年12月1日月曜日

だるま。


先日、母から突然この写真が送られてきた。


メールには、

「覚えてる?あなたが小学3年の時にお父さんにプレゼントした達磨です。」


・・・・・・・笑。


けれど、うん、そう言えば見たことある。

思い当たる節がある。

確かにこれは私が作った達磨だ間違いなく。


お酒を飲み過ぎて体を壊さないようにと想いを込めて、父へのプレゼント。

にしてももっと他に可愛いものは思いつかなかったのだろうか。


片目を塗っていない所に関してはちゃんと評価をしたいとは思います。





2008年11月25日火曜日

ドレンチェリー。


今日パン屋さんに寄ったらこんな可愛いらしいサンタパンが。

もう12月だもんね。


見つけた途端、急に懐かしさにかられたんだけど、

その理由はすぐに分かりました。


ドレンチェリーでした。

お鼻の赤いやつ、ドレンチェリー。


子供の頃、母が「動物パン」や「おかおパン」をよく作ってくれて、

やっぱりそのお鼻に使っていたのがドレンチェリーでした。


色んなお菓子やパンを作ってくれたけど、

その中でも赤い鼻がくっついた可愛いパンは、いつも特別だった。


赤い鼻くっつけてニコニコ笑ったパン、

本当に美味しかったなぁ。


このドレンチェリーとか、それから緑のアンゼリカとか、

最近あまり見なくなったから、

今日サンタパンにくっついてたの見つけて、

嬉しくなりました。


2008年11月18日火曜日

居場所とか、スピードとか。


少しずつ自分の居場所が見えて来た。

少しずつ自分のスピードも分かってきた。


今になりやっと分かり始めるなんて遅い気付きと言われるかな。

だけどこれが自分のスピードなんだろな、と思うから仕方ない。


イチゴのショートケーキを作ろう!

例えばね。


並べられた小麦粉、卵、バター、グラニュー糖、生クリーム、イチゴ・・。

ケーキを形作るのは、確かに今この目に見えてる小麦粉や卵やイチゴだけど、

その一つ一つにだって生い立ちがあり、目に見えない経過があり、

誰かの手や想いを経てやっとここに並んでいる。


全ての出来事は繋がっているのですね。


その時々が織り成す出来事は

それなりの価値と意味を持ち、

また必要であり必然であり、

細かく枝分かれした先の先の先までが要素の一つとして、

今この時を作ってる。


だけどその出来事の必要性って、

その時に分かれば悩んだり迷ったりせず便利なものを、

後にならなきゃ分からなかったりして不便だ。

何故か、何故かいつもそうなんだよね。


先に立つ者が後に続く者の支えに、

少しだけなってあげなさい、と言う事なのかな。

そうだとするとちょうど良い。


「支え」なんて大袈裟すぎる言い方だけど

自分の経験がもしも迷ってる誰かの選択肢の一つにでもなるなら、

その経験はそこで再び生きる。


な〜んてそんな私だって迷ってる事もあれば

頼りたいと思う人にはずいぶん甘えてるけれど。




沢山の人から助けて頂きながら、

行き詰まった時は選択肢を与えて貰いながら今ここにいるように、

私もその波に乗って、

ふと次の道を探す誰かがそれを必要とするなら、

自分のうちの何かを提示できる様でありたい。

それも表現の一つだ。


人のツナガリってそう言うエンドレスなものだと思ってるから。


昨日、気の置けない仲間で(一人足りなかったけど)夜遅くまで色々語っちゃったりして、

こんな事を改めて考えました。


いっぱい経験したい。

いっぱい吸収したい。

いろんな意味での表現者でありたいなあ。


2008年11月15日土曜日

ポリッピー。

ポリッピー。



久しぶりにポリッピーを買ってみた。

ポリッピーを見ると必ず二番目の兄と一緒に住んでいた頃を思い出す。

一時期、二人の間で密かなポリッピー大旋風が巻き起こり、

兄は会社の帰りに私はリハーサルの帰りに

近くのコンビニで夜な夜なポリッピーを買って帰っては

「これを上回るおつまみはないよね、王様だよ。」と

おつまみ通を装ったマニアックな物言いをしていたあの頃。

なつかしいなあ。


それにしても。

よく見たら1袋702キロカロリーもある。

見なかった事にしよ。


2008年11月11日火曜日

浸み込む。


等張液みたい。

高校の時、生物の授業で習った等張液。


体と同じ浸透圧でどんどん浸み込んで行く歌。

ポカリ飲んだ時の感覚に似てた、

喉元を、身体をするすると流れて行く歌。

そんな歌を聴いた。


「歌」って、

例えば落ち葉一つにも名前を付け、メロディを乗せ、

鮮やかに生かす事ができる。

雨にも、一人ぽっちにも、泪にだってそうだ。

だから「歌」が宿った心が生む言葉には、

あらゆるものが褪せた色を取り戻せる様な、

そんな力がきっとある。

考えてみれば鼻唄が出るとき、

見てる世界はいつもよりも少しだけ鮮やか。


そして

「心」が宿った歌、

それはとてもとても強いメッセージを持って、

贈られる側の胸にちゃんと届く、響く、そこで溶ける。

そういうもの程シンプルでいて、

たったの一言でも、ものすごいエネルギーを持つ。


昨日私が受け取ったのは、
歌も心も宿ったエネルギー。


人間は心の生き物。

心へダイレクトに届くのは、やはり、心なのだなあー。


って、思った。


私も歌は大好き、聴くのも歌うのも。

歌ってなにしろ素敵なエッセンスだから、

いつも心のどこかに歌があれば、

見るもの聞くもの今よりもう少しだけ鮮やかになるのかも知れない。

私も、いつも心のどこかでうたが流れている様な人間でありたいなあ、

なんて、昨日のライブで思ったり。

すごく良かったよー。

2008年11月6日木曜日

子孫繁栄。

子孫繁栄。

子孫が繁栄しています。


右から一代目。

ずいぶん前に高田馬場のお花屋さんで見付けた

サンセベリアのハーニーと言う種類。

育て易いし、なかなかたくましい品種だなあと思う。

何しろ葉っぱが強いです。


暫くベランダで育てていると根っこ辺りの土が盛り上がって来たので、

これはもしや?!と、日々楽しみにしていると、

ある日ひょっこり二代目が頭を出しました。


二代目はみるみる育ちました。

あっという間にその鉢では狭くなりしかも、

このままでは一代目も栄養を取られちゃうと思ったので

株分けを決行する事に。

狭いベランダでエンヤコラと株分けをしました。

真ん中が二代目。

でーんと構えています。


2鉢のハーニーは順調にすくすくと育ちましたが、

まもなく今度は二代目の鉢の隙間が盛り上がり始め、

ある日三代目がひょっこり頭を出しました。


凄い生命力だい。


なので、島忠で鉢と土を買って帰り、

昨晩また狭いベランダで株分けをしました。

一番左が三代目。


あ、あ、あ。

そう考えると、

うちの一代目だってもとはどこかの3代目かも知れないし
10代目かも知れないなあ。


また何とも言えないスパイラル。


そう、話しは変わるけど中野の島忠、

あそこは本当に楽しい所です。


2008年11月4日火曜日

栄養。


後輩と久しぶりに会った。

いっぱい話した。

しばらく会わないうちに考え方も随分大人になっていて、

言葉の端々から彼女の成長が見えたから、

目に見えない沢山の経験が積み重なっているんだね、って嬉しくなった。


経験の数だけ壁も増えるけれど、無駄な事は何一つないもんね。


味わう毎に、蓄積する栄養だと思う。


経験は食事と似ているかも知れない。

「栄養」な所が。


甘い味も苦い味も辛い味もすっぱい味も色々あるけれど、

バランス良く食事を丁寧に噛んで味わった時って、

早くに体がぽかぽか温まってくる。

これが血や肉や骨になる温度なんだな、と思う。

それが積み重なり、体を作る。


色ーんな経験で培った価値観や感情が

心の栄養になるのと似ている。

笑顔の経験も涙の経験も、

いつの間にかその人の重みや深みに変わって人生を彩り豊かにする。



だから、決して豪華なものでなくて良い。

(うーん、たまには豪華もいいかぁ)

それよりも穏やかであたたかな栄養を体にも心にも蓄えて行けたらいいな。


なんて思ったり。






2008年10月27日月曜日

郵便受けから。


郵便受けを開けたら、

愛らしいポストカードが届いていた。

「可愛いカードがあったから、〜」って、

とても優しい理由で。

読みながら、心がじんわりとした。

相手がポストに落としたその手紙を、

自分がまた手に持って読んでいる。

すごく、嬉しくなる。

ポストに入れる時の顔を思い浮かべちゃったりする。


それに、手書きの文字を読んでいると、

声が聞こえて来る感じがすごくいいね。

そのポストカードは親友からでした。

毎週顔を合わせていたのがなかなか会えなくなって、

あぁもう一年経つんだ。

その間、お茶したり、最後の舞台応援に来てくれたり、

顔は合わせているんだけど、

あの頃に比べたらね。。

彼女にはいっぱい打ち明けてきた。

泣き事も言った、もちろん嬉しい事も沢山共有してきた。

一緒にいたら笑い過ぎて辺りの酸素が薄くなるんじゃないかと

思わずにはいられない。

私にとってはお馴染みの存在。

2008年10月22日水曜日

秋みっけ。

秋みっけ。

秋深し、隣はカレーを作る人ぞ。

字余り。
つぼまるです。


帰り着いたらお隣からカレーの匂いがしていました、くんくん。


それにしても本当に良い気候が続くなぁ。

一歩外に出た時のこの程好い「スッ」って温度がたまらない。


気持ちが良いから、

疲れててももう一駅くらいは平気で余計に歩ける。

むしろそれでリフレッシュかな。

歩いていると沢山のものが目に入る、

聞こえてくる、頭に浮かぶ。

だから、色んな発見がある。

胸の奥の蟠りは、どんどん歩く度にほどけて行く感じがする。

鎮まる。

2008年10月19日日曜日

優しい文字。

優しい文字。
昔からお世話になっている地元の整体の先生と、

今もたまにお手紙を交わす。

先生からのお手紙にはいつも、細かな事は書かれていない。

健康を気遣ってくれる言葉と励ましの言葉が幾つか、

それも大きな文字でポンポンッて書かれてあるだけの手紙。

空模様の便箋にドラえもんの切手が先生にしては可愛すぎて。

大きくて優しい文字。


そう言えば何だか、文字が先生の顔に似ている気もする。


「健康は体だけではない。

健やかなる体と康らかなる心を持つと言う事で健康。」


締めくくりのたった二行に優しさが溢れていて、

あったかい、あったかい。






2008年10月16日木曜日

まーんまる。

○。

歩道橋から。


今日の月はすごく光っている。

何だか体が浄化されるよう。


穏やか。

安らか。

まーんまる。


心もいつもこうあれたら良い。

だけど、

それもなかなか、難しいよね。


2008年10月11日土曜日

10月10日。

今日はコスモスを買って帰った。

いつだったか母が、

コスモスは父との想い出のお花なのだと教えてくれた。

若い頃、結婚前に二人でコスモス畑でデートした事がある、と。

頑固な上に照れ屋でぶっきらぼうな所がある父が、

どうやって母をコスモス畑へデートに誘ったのか

娘は色々想像を巡らせてみるけれど、

私の想像の中の若い日の父は、

やはり格好も付けられず、ぶっきらぼう。

でもその時母は、

「コスモスを見たらふと切ない気持ちにもなるよ」

と言っていたから、

意外だけど実際は父なりにろまんちっくな言葉もかけたのだろう。


母しか知らない父と

父しか知らない母と。


若い頃のセピア色の二人を想ってみる。

結婚前なら、二人とも今の私よりも年下だね。

「今はあなた達の将来です。」と、何だか不思議な気持ちになる。

そして、二人が出逢ってくれて、本当に良かった。


母は大家族の中に嫁いだので、

私たち3人の子供も手を離れて父と二人きりで暮らしている今が、

母にとっては新婚生活の様なものかも知れない。


そんな両親は今日で32回目の結婚記念日を迎える。



まま、いつまでもその

「切ない」と言った気持ちを忘れないでね。

ぱぱ、アクション映画も良いけれど、

たまには恋愛映画にも誘ってあげましょう。

いつまでも仲良くね。


目指せチャーミーグリーン。



今日はゆっくり電話してみよう。








2008年10月4日土曜日

ユニバーサルドラッグでの失敗。


ユニバーサルドラッグでいつも流れている歌。



 
美~と健康と~せるふケア〜

真心込め~てお手伝い〜

健康家族のパートナ〜

ユーニバーサルドラッグ~

ユーニバーサルドラッグッ♪



歩きながら結構いい感じに感情込めて口ずさんでたら、

同じ陳列棚を挟んで向こう側の角から現れた女子高生としっかり目が合った。

がーん!

2008年9月28日日曜日

興味の種。

気付けばもう9月もおしまい。

随分冷たくなった風が肌を擦って過ぎて行きます。


凛とした空気に感覚が研ぎ澄まされる。

研ぎ澄まされた分だけ余白が生まれ、

何となく五感がもの寂しくて色々を求める季節であるけれど、

それだけに全てがはっきり存在する。


物事の本質を見やすいのは、この季節だなと思う。


まるで秋みたいな人がいる。

深く研ぎ澄まされた感性を持った、豊かで優しい人。

私はその人と見る景色が好き。

私の稚拙な表現も余す事なく理解してくれる安心感に

いつでも心のままに想いを言葉にする事が出来る。


その人は`興味の種´を沢山持っている。

沢山持っているから、人に分け与える事も出来る。

私もそうなりたい。


子供達に伝える立場であるから、それは大事な事だと思うから。

もしそう在れたら、彼らにも沢山の興味の種を分けてあげたい。

苗まで一緒に育ててみて、あとは委ねて見守る。

「見ててあげるから一人で育ててみてごらん。」

花を咲かせるのは子供たち。

実が生ったら嬉しくて、

また次の花も咲かそうとする。

そうするうちに彼らはいつの間にか、

自分で自分の種を蒔ける様になっている。


そんな良い循環が自然と身の回りで起こる様になるといい。


だから、秋みたいなあの人の様に、

私も沢山の興味の種を持っていたいと思う。

正面から物を見られる目を持ち、豊かな言葉を添えられる心で在りたい。


「実りの秋に何を実らせよう」と考えたりしたけど、

その前に、日々の中で自分自身を実らせなきゃね。




2008年9月13日土曜日

鎮める、見つめる。

鎮める、見つめる。

残暑の1日でした。

鰯雲はまだ見ていないけど、

朝晩とこう涼しい風が吹くところが

いよいよ秋だなあという気持ちになる。


季節は移ろいます。


9月は長月。

日も早く落ち始め夜が段々と長くなるから、

夜長月とも言うみたい。


陰と陽のバランスはうまく取れているもので、

賑やかで意識が外に向く夏が行ってしまうと、

今度は自分を見つめ直すのに良い季節がやって来る。


シンとした空気が心をクリアにしてくれるから、

意識の矢印はちゃんと自分の内側に向いてくれる。

浮き足立った心を一度鎮めよう。


さてさてと。

実りの秋に、私は何を実らせようか。


2008年9月5日金曜日

本屋さん。

ただ一冊にさえ

情報や知識や世界や思想がてんこ盛りなのに、

それがひとトコロに何万冊と大集合するんだもん。


本屋さん。


どきどきするよね。

ディープな場所。

その無尽蔵さが魅力かどうか、

昔から、好きな場所。

色んな本に目移りしながら

あっちウロウロこっちウロウロ、

本の匂いにドキドキする。

あれも読みたい、

ああ後でこれも読もう、

おっこんなの出てる。

わーアドレナリン大量発生。

ってなるあの感じ。

本屋さんでは時間の燃焼率が非常に高いため、

時間と心に余裕のある時しか行けません。

し、その方が身のため。

う〜んいいなあ。

本屋さんで1日費やしてみたいなぁ。


2008年8月23日土曜日

むっきーちゃん。




Photo_4





大活躍、『むっきーちゃん』


先っちょに付いた小さなとんがり刃と親指用のくぼみ、

持ち手部分との絶妙なバランスのおかげで、

グレープフルーツや夏みかん等の固い皮もなんのなんの、

少しの力でへっちゃらに剥く事が出来る。


桃やマンゴーにも使えて、皮がスススーと剥けたりして。

レモンにも使えます。


グレープフルーツは丸ごと皮を剥いて食べたい私には、

手先も痛くならないし、とーっても重宝している。


実家に帰っていたある日、

夏みかんの皮にナイフで切れ目を入れていた所を、

「お、ちょっと待て、良いのがあるのに。」

と父に制された。

そして母が間髪入れずに

「じゃーん。これ、なんでしょ?」と、

CMの様にむっきーちゃんを取り出して来たのが

そもそもの出会い。


その時私はむっきーちゃんよりも、

台本があるのかと聞きたいくらい

タイミングの良すぎる掛け合いをした両親にびっくりした。


夏みかんファンの父は

いつの間にかむっきーのヘビーユーザーになっていて、

大きな体で小さなむっきーちゃんをサクッサクッと器用に操る。

じつは実の内袋に切れ目を付ける刃も付いていて、

父はそちらも駆使する。

私は内袋用の刃に関しては指で開いた方が早いと思うと指摘してみたけど

むっきー職人の父からしてみれば、もはやそんなの邪道な様子だった。


「お母さんと大分で見つけて来たんだ。

順世の分も買ってあるから東京に持って行きなさい」

と、こういう一連の末、東京に持って帰ってきた。


そんなむっきーだけど、

今日なんとスーパーのレジ横に

沢山売られているのを見つけてしまいました。


ああ。


2008年8月18日月曜日

東の空より。


東の空に蝉が鳴くも、

朝の温度が少しさがった。


お盆が夏を少し連れて行ったのかな。


でも、太陽が昇ったらやっぱり今日も暑くなるんだろうね。


早起きすると、たまにこういうお空を仰げる。


良い朝です。


2008年8月14日木曜日

サンダル。


サンダルのヒールを直してもらった。

手際よく修理される様子を見ながら、

毎夏私の体重をよくぞ堪えてくれるもんだなぁとしみじみ。

このサンダルとは5、6年になる。

私と沢山の夏を歩いている。

夏が来る度に履き回されては、

磨り減ったヒールを修理に出される。

その度に芯を微かに削られるので、

ヒールもやっぱり少しずつ低くなって来ていて、

ちょっぴり笑える。


いたって普通の白いサンダル。

でも私にはどことなく魅力的に映り、

どことなく好きでいる。


こう言う感覚を縁って言うのだろうなぁ。

「縁がある」って、気取らずに自然で心地良い。


2008年8月11日月曜日

時が経ったって。


「いってらっしゃい」とか

「いってきます」とか

「ばいばい」とか

「明日ね」とか。


誰かとの何気無い別れ際。

もしかしたらこれが最後になるかも知れない

なんて、誰も思わない。


だけど本当は、

また必ず会える事が当たり前なのではない、

という事。


もうすぐ8月12日。

一瞬にして520名の命を奪った

「日本航空123便墜落事故」

から23年が経つ。


今年は8月12日を迎える前にもっと色々知っておきたいと思い、

今日『墜落遺体』(飯塚訓著)を読んだ。


著者は当時遺体確認捜査の責任者として

遺体回収・検屍・身元確認の現場の指揮に当たっており、

その中で直面した出来事を事細かに記録してある。


読み終えても表現するに足る言葉がなくて、

自分の身に置き換えただけで何だか思考が停止する。


墜落中のパニックの中、残して行かなければならない家族へ

メモ書きを残している男性のエピソードが強烈に残っている。


家族が、愛する人が、大切な人達が突然目の前からいなくなる。


何も告げずに触れられない所へ行ってしまう。


そんなの考えられない。


中には、

これが本当に人間に起こりうる事実なの?

と目を覆いたくなる描写が多々あり、

実際に途中何度か本を閉じた。

何よりも物凄い悲しみが渦巻いていました。

だけど読むのを辞めたいとは思わなかった。

知っていなきゃいけない事がもっとある気もする。



いつか読んだ9・11テロの関連の本の中にも

今でも忘れられない遺族の言葉があります。


〜あの日、「いってらっしゃい」の代わりに

きつく抱き締めていれば良かった。〜


〜「あいしてる」と一言、なぜ言えなかったのだろう。〜



そして、中でも特にハッとさせられた一行がある。


〜‘明日出来る’事なら、

それは‘今日’だって出来たはずなのに。〜



事故に遭うのが悪い偶然なら、

今日を無事に終えられる事は

良い偶然に過ぎないなって、

心からそう思った。



いのち。


私たちの存在は奇跡だ。


沢山の言葉を並べるよりも、

感謝を忘れずに生きていかなきゃと言う気持ちでただただいっぱいで

今はそれ以上が出て来ない。


2008年8月7日木曜日

夏の思い出。

夏の思い出。
もう。

こんなに空がきれいだと

この茹だる暑さを許してしまう。

今すぐプールに飛び込めたら

どんなに気持ち良いだろう〜。

だけど現実には、

26にもなったらお肌がどうの・・で

街を歩くにも紫外線が気になる。


子供の頃よく行った大里プールを思い出した。

大里プールは実家から少しだけ坂を下った所にあるので、

私たち3兄妹はいつも水着に浮き輪姿で

坂を駆けおりていた。


塩素のにおいや

チケット売り場のガラス越しのおばちゃん、

「うへ〜」ってなってなんとなく爪先で歩きたいシャワー場。

潜った時に大きな水中ライトが目の前に現れて、

それがやたらと怖かった事とか。

水中点検の時間に全員プールから上がらされるんだけど、

その時間はちょっとドキドキした事とか。

プール上がりに兄が買ってくれるセブンティーンアイスが楽しみだった。

あまり人気のないチョコミントが私は好きだった。



夏の思い出は何となく際立っている。

色も、匂いも、音も。

それだけ夏が賑やかだからかな。

太陽の光だったり、

空の青さだったり、

輪郭も明確だし、何しろ鮮やか。


戻らない夏は、カラフルな思い出ばかりです。


多分今日の空も忘れないと思う。


2008年8月4日月曜日

ただ現状は。


「電車のCO2排出量(どちらも人を乗せた状態で)は

自動車のおよそ9分の1!」

と謳いますのは、

電車の中に貼られた広告。

へ〜なるほど。

その差はおっきいのね〜

って思っちゃったけど、 待て待て。

その電車の車内は冷凍庫みたいに

クーラーがキンッキンでした。

2008年7月28日月曜日

幸せについて。


笑う。

沢山笑う。

笑う体は沢山の酸素に充たされて、

幸せで、柔らかい。


笑顔が幸せを呼ぶのかな。

幸せが笑顔を呼ぶのかな。


同じものを見て

同じ様に感じ

同じ位声に出して笑える。


綺麗なものを見て、

綺麗だね、と言い合える。

楽しい時には、

楽しいね、と言い合える。


数えきれないほどの人がいる中で、

そういう存在に巡り逢うこと、

まして肩を並べられる事、

奇跡だと思ってる。



父がよくこう言う。

「とにかくとにかく幸せであれ。

まず自分が幸せでなければ

誰かを幸せにしたいと思っても

その方法が分からないだろう。」


私の大切な人の事は

私がうんと幸せにしたい。

それが出来る自分でいたい。

その為に幸せをちゃんと知っていたい。



分からない事も知らない事もいっぱいあって、

理想を体現出来るにはまだまだ程遠いけど、

少なくとも幸せが心を強くする事は知ってる。

それに、笑顔と幸せは繋がっているって事も、

間違いないって言い切れる。


だから

大切なものを守れる自分に近づく為にも、

これからの生きて行く時間

出来るだけ笑って送りたいと思う。


自信を持って笑っていたいなぁ〜、と思う。




2008年7月18日金曜日

月。

今日、月がきれい。

近くの大きな星は金星かな?

明日は満月だそう。


月は私の中ではとっても女性的なイメージです。

静かな音を奏でたり、

穏やかに包み込んだり、

口角だけを上げて笑ったり、

守りの体勢、

そんな感じがする。

何となく。



月の満ち欠けは28日周期。

これって、女性の周期の平均と同じ。

妊娠期間もおよそ280日と言われ、

これは女性だけじゃないけど

お肌のターンオーバーも約28日サイクル。


命と月と満ち潮引き潮の関係。

これは良く聞くし、私も祖父の時に経験しました。


アシュタンガヨガでは満月の日を「ムーンデー」と言い、

月の影響を大きく受け怪我をしやすい等の理由でレッスンがお休みだったり。


ついでに、

「mother moon father sun」

って曲もあって(Baha Menの。良い曲です。)

やはり月が女性、太陽が男性。


実際に陰陽道では、

月は女性と同じ「陰」のグループに分けられる。



やっぱり何か繋がりがあるのかな、

神秘的よね。



2008年7月15日火曜日

好きな色。

好きな色。


小さな教え子に、

「何色がすき?」

って何気なく聞いたら

「ぼくは季節によって好きな色が違うよ」

と教えてくれた。

そしてさらに素敵な言葉を続けた。

先生それでねって。


「冬のくろはあまり好きじゃなくて、夏のくろは好き。

だって冬のくろは、閉じこもってて苦しいから。

夏のくろは、少し青くて広い感じがするから。」


なんて素敵なんだろう。


春を待ちわびる土の中の芽の気持ちと、

夏の夜空だ。


そうだよね、黒は一つだけじゃないもんね。


私の質問に対し、

「答え」じゃなく

「応え」てくれたのが

すごく嬉しい。


彼らは際限なく色を乗せられるパレットを持っている。


いつまでもその心を忘れないでいて欲しい。

きっと大丈夫だね。


2008年7月13日日曜日

朝。


朝からこんなにお天気だ〜


朝日で髪が乾く。


am6:30


J-WAVE


から


sixpence none the richerの‘kiss me’


何度聴いても良い曲は良い曲。


懐かしい気持ちがする。


2008年7月9日水曜日

たと。

「外」
って漢字を書く時、
決まって心の中で
「たと」
って言ってしまう。



直らないの。



2008年7月7日月曜日

寄り道の帰り道。


お仕事の終わりが早かったから寄り道をした。

さてそろそろ帰ろうと思った頃には日が暮れていて、

見上げたは空はインディゴブルーできれいでした。

この気候なら気持ちが良いかなと、一駅を歩く。

どこかから蚊取り線香の匂いがしてきて、

いよいよ夏だなぁと思う。

思った瞬間に「日本の夏、キンチョーの夏」が心の中で浮かぶ。

あの人が隣にいたらきっと同じ事を言っただろうな、と感じる。

通りがかりに七夕様の笹を見つける。

明日、七夕。

私はまだ、子供の頃の様な素朴なお願い事を短冊に書けるだろうか。

明日を楽しみに待っている子供たちに、

素敵な七夕が訪れますように。






























2008年7月5日土曜日

2008佐多達枝バレエ公演 『庭園 the summer garden』


筆舌に尽くし難いとは、きっとこういう事なのだなと思う。


でも今日の感覚を忘れたくないから、文字にしておこう。


今日、舞台を観に行き、ある作品に出逢いました。


作品・・・違うな、、エネルギー・・・そのもの。


その方が、近い。


2008佐多達枝バレエ公演


『庭園 the summer garden』



舞台の上は、もはや舞台ではなかった気がします。



白昼夢の様な情景でありながらも、


そこには確かに‘生’が存在していた。


すぐ目の前で、


誕生が、消滅が、歓喜が、苦悩が、生の神秘が繰り広げられた。


それは、一瞬温もりを感じたりする程リアルで、


私は鳥肌の引かない時間を過ごす。


余計な思いも私情も、すべて洗い流された感じがした。


その代わり、今そこに目にする事の出来ないはずのものを垣間見た。


水飛沫が見え、心の切り傷が見え、笑い声が見え、

優しさを、哀愁を、息苦しさを、はにかみを、包容を、彷徨いを見た。


それはまさに、生きている時間、そのものでした。


そして、ふと思った事一つ。

生きる=表現

なんじゃないかと。


踊るだけじゃない、歌うだけじゃない、


話す事だって表現。


泣く事も、笑う事も、嫉妬も、罪も、許しも、癒しも、誓いも、夢も皆。


愛する事もまた表現。


沢山の要素を抱えながら、人は皆生きて行くんだなと思った。


生まれて来た意味を考えました。


強いメッセージを受け止めました。


私は死ぬ時までずっと、


丁寧な表現を綴って行きたいとお腹の底から思いました。



月並みな言葉だけど、『庭園』、もの凄く良かった。




2008年6月30日月曜日

降れ降れ。

降る雨に、


街ゆく人々には鬱陶しそうな表情が浮かぶけど、


路上の木々や花はこれでもかと言うほど生き生きしている。


人間だけのものじゃない地球。


2008年6月13日金曜日

季節のしるし。



町には紫陽花が咲き始めています。


去年もこの場所で見かけた同じ紫陽花。


と言う事は、去年の今頃もこの道を通ったんだな。


季節がまた巡りました。


季節が一生懸命一巡りする間に、


私も私で色々変わった。


みんなもきっとそうだろう。


私は最近になってやっと、今が一番すきだと思える。


でもこれからはいつになっても


その時々の‘今’を一番すきだ。と言える様でありたい。


来年もこの紫陽花を見るかな。


時間は目には見えないけれど、


こう言う季節のしるしが時間の移り変わりを知らせてくれる。


綺麗な色。


2008年6月11日水曜日

空の居場所。



空の居場所はビルの隙間だった。


規則的な窓の羅列に目が眩んで


一瞬自分の現在位置を見失ってしまいそうになる。


見上げるといつも胸がすくむ。


冷たい巨大ロボットの群れが立ちはだかっている様に見える所が


その原因だろうか、苦手です。


2008年6月10日火曜日

ゴールド。

ゴールドになった。
なってしまった。
免許が。
いやだ。
照れ臭い。
だって、
なんてったって私はペーパー。

本日免許の更新に行きました。
私の免許、期限が今日までで、それに気付いたのはなんと昨日。
昨日の仕事帰りに何気無く免許を見た所で、
更新まで後1日しかないことに初めて気付いた。
これはまずい。と慌てて今日午後から都合を付けて
都庁の更新センターに行ってきました。

1日遅れてたら免許失効する所だった。
せ〜ふせ〜ふ。

失効しちゃうと試験場まで行かなきゃいけなかったり何かと大変みたい。
それでなくても何となく面倒臭い感じだから、本当に良かった。

それにしてもゴールドかぁ。
なんだかなぁ。
何もしてないのに褒められている。

しかも特典があり講習1時間の所30分でいいとか、
更新料3600円の所3250円でいいとか、
呼ばれ方だって‘優良ドライバー’って言うおりこうさん扱いで、
何だか本当に申し訳なくなってくる。。

考えてみるとちゃんとした運転はかれこれ6年していない。
はなうたまじりに運転するのに本当は憧れてるんだけど。

そう言えば昨年末に帰省した時、ちょっとだけしたな。
両親と行った熊本で。
私が運転しようとしたら、父がなんと初心者マークを車に張った。
いつの間に持って来てたんだと私はちょっと不満だったけど、
ある意味では正しいのでそこはおとなしく従い、
あまり寄らないでね〜と周りにアピールする事にした。

運転中は、隣に座る父の顔もバックミラーで覗いた母の顔も青く、
特に普段どんな物事にも動じない父が私の運転には明らかに動じていて、
その顔を見ると今度は私が自分が運転している事に怖くなっていた。
何だったんだろうあのドライブ。

そんな事もありました。

今日講習中で見たビデオを思い返しても、
私の場合‘触らぬ神に祟りなし’みたいな感じで、
このままそおっとしておくに越した事はないなと薄々感じています。
ドライブは、やっぱり好きな人の隣が一番いいかな。




2008年6月6日金曜日

ちょっとしたおかげ。


書き物をしていて、ペンがどうしても行き詰まったから


気分転換に窓際の席に移動した。


ノートに太陽が当たって視界がパッとしたら、


途端に頭の中もパッとしちゃって、


お陰で物事がひとつクリアになりました。


ちょっとした事での変化は大きく、


それは身の回りに多いに溢れている。


今日晴れてて良かった。


雨は雨で好きだけどね。


2008年6月2日月曜日

選択肢があること。


身の回りには物が沢山溢れていて

だから私達にはいつも選択肢がある。

無意識に良い方を選ぶ。

馴れ親しんだこの環境の中では

そんな生活を当然の様に感じてしまうけれど

それってきっと勘違いに過ぎなくて

選べる状況にいる事は幸せなんだと言うことを

忘れちゃいけないなと思っている。

でもそう思いながらも部屋を見渡したら

やっぱり物が沢山あって

‘生活に必要なもの’より

‘無くても実は全然困らないもの’の方が多いし、

加え私はそれを大切にしていたり大好きだったりするから、

色々考えていたら、何か複雑な気持ち。

2008年5月21日水曜日

ぽりぽり。


蚊、早くも現る。

出とちっちゃったらしい蚊に刺された。

かゆい、ついぽりぽりとかいています。

あ~でも、そう言えばスーパーにはもうスイカも出てたし、
もうそんな季節なのかしら。

夏の端っこに触れたかな。


2008年5月17日土曜日

おわっちゃった。


長い間心の中で温めていたものがあった。

誰が何と言おうと私にとって大変特別なもので、
わくわくとその日を待ち望んでいる様な、
でもいつまでも来て欲しくない様な気持ちでそれまでの日々を過ごした。

数日前、遂にその日を迎えて、
劇場では色んな想いを噛み締めながら、
とうとうその1日は終わった。

笑顔で終わる事が出来た。
思い返せば、初めから笑顔や笑い声が絶えなかった。
そしていつもそれぞれの想いがこもっていた。
だから、私たちは最後だって笑顔で終わる事も知っていた気がする。

そんな心を開き合った繋がりを心から愛しいと思っているし、
大切な大好きな人たちと一緒に作り上げる状況にあることが
本当に嬉しく幸せだと思っていた。

それだけに、今心ががら〜んとしています。
逢えなくなる訳じゃないのに、
あの時間が戻らない事がたださみしくて。

通った道も、使い込んだ道具も、スタジオでの笑い声も、
この何ヵ月間か日々進行形だったものが、
5月11日のフタを締めた途端、ピタリと想い出に変わる。

流れ続ける時間の中に生きているのだから仕方ないのよね。


あぁ~。でも何でこんなにさみしんだろ。


2008年5月4日日曜日

みんな元気にしてるかな。


帰り道、商店街を歩いていると、何だかとっても懐かしい匂いがした。

なんだっけなんだっけと思っていたら、そうだ、思い出した。

学生時代の学食の匂いだった。

中1から高3までが一気に集まる学食はお昼休みに一番賑わう場所だった。
カフェテリアと洒落た名のついた、いたって普通の学食。

懐かしい。

食券を持って並んだな。うどんの時は「テンカス多めで」とか、      
微妙な注文をしていたのを思い出し苦笑い。
カウンターから「はいっ多めっ」って出てくるんだけど        
本当に多めになっているかがいつも分からなかった。

衣が約半分を占めるカツカレーだって美味しかったよ。

売店のクラウンパンも美味しくて、
特に80円のチョコクッキーは売れ行き良好のヒット商品だったし
私達の間ではベーコンデニッシュが王道だった。

お弁当も持って行ったけど、学食でメニューに悩むのが嬉しかった。

パックのイチゴオレを飲みながら皆で話が止まらなくて。

恋の話で盛り上がったり。
話せる事も手紙にして交換したり、
次の抜き打ち持ち検はいつだろうかとか、
携帯没収された〜とか、
どこに置き勉する?とか、
次体育だ〜あ〜あ、とか、
〇〇先輩今日こないねとか。

何の変哲もない毎日だったけれど、すごく楽しかった。
 あの頃の笑い声やざわめきがよぎって、胸に少し思い出の痛みがする。

あの頃は今に繋がっていて、
今はまたいつかの遠い日に繋がっている。
点が繋がり一本の線となる。


ビデオテープみたいに巻き戻せないから、              
どうかどうか悔いのない時間を過ごして行けると良い。

あの頃同じ空気を吸って笑いあった皆が               
それぞれ素敵な今を送れていますように。




2008年4月12日土曜日

空。


青い。

たったこれだけで、心を掻き乱す。


「青い。」


自然に声にでた。


いつもそこにある不変にはやっぱり誰もかなわない。

あ〜あ

空は繋がってるのにな。


2008年4月10日木曜日

起きたね〜。



待ってました〜

って声が聞こえてきそうな程、
最近急に伸びやかに葉を広げだしたベランダの葉っぱ。

何も話さないけど
春を知っているのだね。

冬の間、
幾らお世話をしても痩せていく一方だったから、
ひょっとしたらこのまま死んでしまうのではないかと不安だった。

なぁんだ、寝てたのか。
産毛がかわいいね。

仰げ大空〜。

浴びよ太陽〜。

生きろ力一杯!

ね。


2008年4月2日水曜日

四月一日。

いつも背筋がシャンとしていた。


トレンチコートを着て帽子を少し斜めに被り、
大股でせっせと歩く姿が印象的だった。


たまに浅い色のサングラスをかけたりすると、
見た目かなり怖くなるけど中味はとてもお茶目だった。


「みっちよのた〜めな〜らエンヤコ〜ラ〜」と、外でも遠慮なくよく歌った。


息子である父にしてきたのとは別人の様に、
嫁である母と孫娘の私には劇的に甘かった。


いつも「自慢の嫁だ。」と外で言って回っては母の事を可愛がった。


「安いものでもわたしが着たら舶来品に見えるだろう?」
といたずらな表情で私達に笑いかけて、満足そうにその場を立ち去る後ろ姿。

それから想い出は飛んで、最期のあの日の別れ際の言葉をふと思い出した。

鼻がツンとした。

そんな今日は祖父の命日。

この素敵な季節は、少し淋しいです。

桜みたいに儚くて消え入りそうな時だから、
何だか自分の大切なものまで春と一緒に連れて行かれてしまいそうな気持ちになって、
心の中で慌ててその輪郭を辿った。
絶対に手離したくないものの手触りをそこで再認識して、もう一度誓う。

今この時だっていつかは思い出になる。
将来の私が、微笑みながら回想出来る「今」をいつも送っていたいと思う。

昨日から今日とっても素敵な日だったよ、おじいちゃん。

四月一日。


写真立ての祖父が笑っている気がする。

2008年3月25日火曜日

はるだね。


桜まつりのお知らせと、
もうじき弾けそうな桜のつぼみが
くすぐったくて何かうれしい。


はるだね。


2008年3月20日木曜日

ささやかにも確実に。


出掛けに見た時には咲いていなかったのに、
帰り掛けには沢山花が開いていた。

同じ1日のうちなのにすごく不思議な気持ちがしたけれど、
それはそうか。
生きてるんだものね。

何だか、いじらしい。


2008年3月8日土曜日

いっ。


雑誌でつまみ見た、ほっぺたを引き締める顔の体操。

口を大きく開けて

「えー」とか

「いー」とかね。


よし早速やってみよう。

と思いっきり「いっ」とやったら

唇が「ピッ!」ってなって、


血が出ました。


引き締めの前にまず、潤いが必要だった模様。

2008年3月2日日曜日

今朝のはなし。


今朝一番の便に乗る為に空もまだ暗いうちから家を出るも、
遅れたらアウトと意気込みすぎて空港に早めに到着し過ぎた。
スッピンの上に眠すぎる目はまるでお地蔵さま。

でも飛行機に乗るまで寝るのは我慢しようと、読みかけの本を読んでいました。

しばらく読んで、一息顔を上げた時に、

「何を読んでいますか?」と、隣から声が。
おじいちゃんが一人。
胸にペンを沢山挿していたのが心に残ります。

突然のことだったので正直びっくりしたけれど、
そのおじいちゃんがあまりにも穏やかな雰囲気過ぎて、
その時はとても自然な流れになった。

乱歩です。と答えた。
すると即座にヒライタロウだねえ。と返って来た。
ヒライタロウ?となっていたら教えてくれた。
江戸川乱歩の本名ですって。
どうやら文学に詳しい方のようで、
私はおじいちゃんに親しみを感じ楽しくなった。
そして手元の乱歩は閉じて、お話しした。

その後に、「自分は年甲斐もなく音楽鑑賞がとても好きで色んな曲を聴くの」とも言った。おじいちゃんが挙げた中に私が好きなアーティストの名前も出てきて、
そこでまた少し話が広がった。

同じ便に乗るということ以外に身の上を知らない者同士の会話にしては
へんてこな盛り上がり方ではあったけど、それが案外にも心地よく続いた。

搭乗が始まった後はもう顔を合わすことはなかったけれど、

何とも印象に残っています。


時、所違わば、もしかするとこの人とも気の合う仲間になり得たのかも知れないなあ。
なんて思った、ということ。

もしかするとこのような人は世の中に沢山いるかも知れない。
ただ、


出逢っているか出逢っていないかの違いで、しかしその違いは大きい。
そして多くはこのまま出逢わずに過ぎていくものだろう。

そう思いを巡らせてみれば、
だからこそ、今身近にいる、名前で呼び合える、気の置けない、大切な人たちとの
出逢い・縁・そして今ここまでのツナガリがどれほど尊いものか。
当然のようで、決して当然じゃないそんな事。
非常に運命的なものに思える。
いやきっと運命なのでしょうね。

「出逢い」とか「縁」とかこういう神秘的なものについて、
莫大な想いを募らせる事は出来ても、
私の拙い表現力ではやっぱり文字に出来ません。
でも、


思い切ってシンプルに言ってしまうとすれば、
とにかく大切に守り続けるべきものをすべての人が持っているんだと思う。
そしてそれはとっても素晴しい。

私も、今手の中にある様々な人とのツナガリ、それぞれへの想いを
絶対、絶対大切に守っていこうと思う。

今朝のひょんな出会いは、何か私に有意義なものを残してくれました。
なんだかとても心が気持ちのよい日。

そして、眠い。












2008年2月15日金曜日

ゆっくり歩く事もいいな、と思った。




今日は沢山の道を歩いた。


沢山の想いを巡らせ、

そして沢山の空を見た。

スピードを落とし、
時間をかけて一歩一歩を味わう。

言葉も行き交う。

すると、そこには今までには気付けなかった様な
素敵があったり、
理由があったり、
はたまた納得があったり、
小さな感動が沢山落ちている。

それを見つける度に拾い上げるつもりで歩いてみると、
何となく自分の中に色が増した気がして少し嬉しく感じる。

だから、
ゆっくり歩く事もいいな、と思った。

2008年2月6日水曜日

東京モノレールから。


空って自然が描く最高のアートじゃないかしら。
それも、後に姿を残さない一瞬の。

本当に空が美しかった。
絵画みたいだった。

ピンク色の雲、黄色い光、エメラルドグリーンに近い空の蒼。
天使が舞い降りてきそうだった。

写真は上手に撮れなかったけれど、
色も光もこちらよりももっともっともっと遥かに美しかった。

それは不確かかも知れないけど、
もしかしたら乗り合わせていた誰もがその夕陽に魅入ってしまったかも知れない。

車内が一瞬「シン」となった。
その「シン」と、
車内に射し込む光がまた何とも言えなくて胸にぐっときてしまった。

この空って終わりがないんだよね。

東京も福岡も韓国もフランスもインドもアメリカも
ロシアもアフリカもオーストラリアもブラジルもエジプトもイタリアも
みーんな空では国境線なく繋がってるんだよね。

本当は近いんだよね。

2008年1月15日火曜日

変わる。変わらない。


酸素を吸い、二酸化炭素を吐き出して呼吸する。
こうして私たち生きています。

とその傍ら、
彼ら植物は太陽を浴び光合成で二酸化炭素を吸収し、

酸素を作り出す。

そんな酸素を、
私たちは吸う。

二酸化炭素を吐き出す。

またその二酸化炭素を緑たちが吸い込む。

水をあげながら
ふとこんな事思ってみて、地球上の命って繋がり、
循環しているんだなぁ。
なんて、漠然と感じた。

人と緑って、とってもナチュラルな形でリンクし合っている素晴らしい関係にあるのに、
今現在の環境問題なんかを考えるとやっぱり心配。
危なっかしいバランスはいつまで保っていられるんだろう、なんて。

その昔から何ひとつ変わらない自然と、
どんどん変わってく人間。
進歩。発展。
変わる事は大切だけど、
変わらない事はもっと大切かもね。


2008年1月6日日曜日

今年の最初に思った事。

2008年。

素直であること。

開けて、穏やかな気持ちで、心は微笑み、奥歯の力は抜けている。

起こりうる全てを、柔らかい心で迎え入れ、逃げないし、又、闘いもしない。

そんな風に歩んで行けたら、素敵。

あとは、自分の中でまぁーるく丸めて温めたい想いがいくつか。

これが今年の最初に思った事、忘れないようにしよう。


明けましておめでとうございます。

誰もが素敵な笑顔でいられる1年でありますように。