2008年11月25日火曜日

ドレンチェリー。


今日パン屋さんに寄ったらこんな可愛いらしいサンタパンが。

もう12月だもんね。


見つけた途端、急に懐かしさにかられたんだけど、

その理由はすぐに分かりました。


ドレンチェリーでした。

お鼻の赤いやつ、ドレンチェリー。


子供の頃、母が「動物パン」や「おかおパン」をよく作ってくれて、

やっぱりそのお鼻に使っていたのがドレンチェリーでした。


色んなお菓子やパンを作ってくれたけど、

その中でも赤い鼻がくっついた可愛いパンは、いつも特別だった。


赤い鼻くっつけてニコニコ笑ったパン、

本当に美味しかったなぁ。


このドレンチェリーとか、それから緑のアンゼリカとか、

最近あまり見なくなったから、

今日サンタパンにくっついてたの見つけて、

嬉しくなりました。


2008年11月18日火曜日

居場所とか、スピードとか。


少しずつ自分の居場所が見えて来た。

少しずつ自分のスピードも分かってきた。


今になりやっと分かり始めるなんて遅い気付きと言われるかな。

だけどこれが自分のスピードなんだろな、と思うから仕方ない。


イチゴのショートケーキを作ろう!

例えばね。


並べられた小麦粉、卵、バター、グラニュー糖、生クリーム、イチゴ・・。

ケーキを形作るのは、確かに今この目に見えてる小麦粉や卵やイチゴだけど、

その一つ一つにだって生い立ちがあり、目に見えない経過があり、

誰かの手や想いを経てやっとここに並んでいる。


全ての出来事は繋がっているのですね。


その時々が織り成す出来事は

それなりの価値と意味を持ち、

また必要であり必然であり、

細かく枝分かれした先の先の先までが要素の一つとして、

今この時を作ってる。


だけどその出来事の必要性って、

その時に分かれば悩んだり迷ったりせず便利なものを、

後にならなきゃ分からなかったりして不便だ。

何故か、何故かいつもそうなんだよね。


先に立つ者が後に続く者の支えに、

少しだけなってあげなさい、と言う事なのかな。

そうだとするとちょうど良い。


「支え」なんて大袈裟すぎる言い方だけど

自分の経験がもしも迷ってる誰かの選択肢の一つにでもなるなら、

その経験はそこで再び生きる。


な〜んてそんな私だって迷ってる事もあれば

頼りたいと思う人にはずいぶん甘えてるけれど。




沢山の人から助けて頂きながら、

行き詰まった時は選択肢を与えて貰いながら今ここにいるように、

私もその波に乗って、

ふと次の道を探す誰かがそれを必要とするなら、

自分のうちの何かを提示できる様でありたい。

それも表現の一つだ。


人のツナガリってそう言うエンドレスなものだと思ってるから。


昨日、気の置けない仲間で(一人足りなかったけど)夜遅くまで色々語っちゃったりして、

こんな事を改めて考えました。


いっぱい経験したい。

いっぱい吸収したい。

いろんな意味での表現者でありたいなあ。


2008年11月15日土曜日

ポリッピー。

ポリッピー。



久しぶりにポリッピーを買ってみた。

ポリッピーを見ると必ず二番目の兄と一緒に住んでいた頃を思い出す。

一時期、二人の間で密かなポリッピー大旋風が巻き起こり、

兄は会社の帰りに私はリハーサルの帰りに

近くのコンビニで夜な夜なポリッピーを買って帰っては

「これを上回るおつまみはないよね、王様だよ。」と

おつまみ通を装ったマニアックな物言いをしていたあの頃。

なつかしいなあ。


それにしても。

よく見たら1袋702キロカロリーもある。

見なかった事にしよ。


2008年11月11日火曜日

浸み込む。


等張液みたい。

高校の時、生物の授業で習った等張液。


体と同じ浸透圧でどんどん浸み込んで行く歌。

ポカリ飲んだ時の感覚に似てた、

喉元を、身体をするすると流れて行く歌。

そんな歌を聴いた。


「歌」って、

例えば落ち葉一つにも名前を付け、メロディを乗せ、

鮮やかに生かす事ができる。

雨にも、一人ぽっちにも、泪にだってそうだ。

だから「歌」が宿った心が生む言葉には、

あらゆるものが褪せた色を取り戻せる様な、

そんな力がきっとある。

考えてみれば鼻唄が出るとき、

見てる世界はいつもよりも少しだけ鮮やか。


そして

「心」が宿った歌、

それはとてもとても強いメッセージを持って、

贈られる側の胸にちゃんと届く、響く、そこで溶ける。

そういうもの程シンプルでいて、

たったの一言でも、ものすごいエネルギーを持つ。


昨日私が受け取ったのは、
歌も心も宿ったエネルギー。


人間は心の生き物。

心へダイレクトに届くのは、やはり、心なのだなあー。


って、思った。


私も歌は大好き、聴くのも歌うのも。

歌ってなにしろ素敵なエッセンスだから、

いつも心のどこかに歌があれば、

見るもの聞くもの今よりもう少しだけ鮮やかになるのかも知れない。

私も、いつも心のどこかでうたが流れている様な人間でありたいなあ、

なんて、昨日のライブで思ったり。

すごく良かったよー。

2008年11月6日木曜日

子孫繁栄。

子孫繁栄。

子孫が繁栄しています。


右から一代目。

ずいぶん前に高田馬場のお花屋さんで見付けた

サンセベリアのハーニーと言う種類。

育て易いし、なかなかたくましい品種だなあと思う。

何しろ葉っぱが強いです。


暫くベランダで育てていると根っこ辺りの土が盛り上がって来たので、

これはもしや?!と、日々楽しみにしていると、

ある日ひょっこり二代目が頭を出しました。


二代目はみるみる育ちました。

あっという間にその鉢では狭くなりしかも、

このままでは一代目も栄養を取られちゃうと思ったので

株分けを決行する事に。

狭いベランダでエンヤコラと株分けをしました。

真ん中が二代目。

でーんと構えています。


2鉢のハーニーは順調にすくすくと育ちましたが、

まもなく今度は二代目の鉢の隙間が盛り上がり始め、

ある日三代目がひょっこり頭を出しました。


凄い生命力だい。


なので、島忠で鉢と土を買って帰り、

昨晩また狭いベランダで株分けをしました。

一番左が三代目。


あ、あ、あ。

そう考えると、

うちの一代目だってもとはどこかの3代目かも知れないし
10代目かも知れないなあ。


また何とも言えないスパイラル。


そう、話しは変わるけど中野の島忠、

あそこは本当に楽しい所です。


2008年11月4日火曜日

栄養。


後輩と久しぶりに会った。

いっぱい話した。

しばらく会わないうちに考え方も随分大人になっていて、

言葉の端々から彼女の成長が見えたから、

目に見えない沢山の経験が積み重なっているんだね、って嬉しくなった。


経験の数だけ壁も増えるけれど、無駄な事は何一つないもんね。


味わう毎に、蓄積する栄養だと思う。


経験は食事と似ているかも知れない。

「栄養」な所が。


甘い味も苦い味も辛い味もすっぱい味も色々あるけれど、

バランス良く食事を丁寧に噛んで味わった時って、

早くに体がぽかぽか温まってくる。

これが血や肉や骨になる温度なんだな、と思う。

それが積み重なり、体を作る。


色ーんな経験で培った価値観や感情が

心の栄養になるのと似ている。

笑顔の経験も涙の経験も、

いつの間にかその人の重みや深みに変わって人生を彩り豊かにする。



だから、決して豪華なものでなくて良い。

(うーん、たまには豪華もいいかぁ)

それよりも穏やかであたたかな栄養を体にも心にも蓄えて行けたらいいな。


なんて思ったり。