2017年10月22日日曜日

ローゼル。





 光も、陰も。
両方あってあなたを成す。

  

ところで今の季節はお花屋さんに枝物が豊富です。 
こちらはローゼル。
ローゼルはハイビスカスティーの原料です。
実に触れると、ぷりっぷりのぴかっぴか。
これでもかというほどの生命力を惜しみなくわけてくれる。
ありがとう。

2017年10月8日日曜日

日焼けの跡よりもっと深く。



太陽の透明と空と海の青に心も裸になった。
海を見るのがもっと好きになった。
海に潜るのがすごく好きになった。

目の前の景色の移ろいでゆく一瞬の空気や色彩や光や匂いのぜんぶが
あまりにも美しくて優しくて、
それをどうしても見逃したくなくて写真におさめ損ねた瞬間が沢山ある。
でも大丈夫、日焼けの跡よりもっと深いところまで肌の奥まで焼き付いてるもんね。




2017年9月22日金曜日

赤唐辛子うまく干せるか日記。2



赤唐辛子。
干し始めて1週間ちょっと経ちました。

まだ湿度の高い日もあるから、外に干したりおうちの中に干したりしてるけど、
それでも少〜しずつ乾燥も深まってシワも増えてきている感じ。よしよし。
ぴちぴちもいいけど皺が増えてくると見た目も味わいが深まるねえ。

思ったよりも時間がかかりそうだけど、のんびり楽しませてもらってます。

にしても色がいいな〜。

2017年9月13日水曜日

赤唐辛子うまく干せるか日記。1


 きれいな赤唐辛子が届いたので干してみようと思う。
といわけで赤唐辛子うまく干せるか日記が突然はじまりました。


ひとまず道具箱の中にあったひもで編んでみた。
明日は晴れるみたいだから 明日の日中から天日干しするようにしよう。
これから空気も乾燥し始めるし、ちょうどいいかも。
 ってこれでうまく出来るのかなあ。

ところでトウガラシってね、ナス科なんですって。 

2017年8月25日金曜日

九谷青窯小林巧征さんのプレート。



アオが青というより碧でもなく蒼で、心にぐっとくる。
表面のツヤ感も、このフラットさも、全部がいいの。
そして赤い食べものがよく似合うところも好き。

 

ほぼ毎日お世話になっているけど、
毎回出す時、洗う時、このプレートを触るだけでなんか嬉しくなる。
よくわからないけどなんか嬉しくなるんだよなあ。
こういう感覚がすき。
とてもいいお皿。

九谷青窯の小林巧征さん素敵なお皿を有難うございます。

っていいたくなっちゃうくらい好きなお皿。

2017年7月18日火曜日

信楽焼のラッフルプレート。


信楽焼のラッフルプレート。

粉引きの表情がやさしくて手に取った。

リムの部分の色と線が好き。

そしてやっぱり完璧じゃない円の形が好き。

 
おかずも引き立ててくれて、

全然主張しないのに持ち前の存在感が自然と光るのがいい感じ。

 

それにしても夏のお野菜はカラフルなのが多くて楽しくなります。
 
リコピン、クロロフィル、アントシアニン、

この色素そのものが栄養なんだもんね。

色鮮やかな栄養たっぷり摂って夏の養生しよう。

2017年6月20日火曜日

大好きな読書館。



大好きな読書館。
水の音や柔らかい光、音を立てずに流れ続ける空気、
たまに聞こえるお店の人の丁寧な作業の音、そして静寂。
静寂を守ることがこの場所の昔からのルールで、
「話す」という日常の行為にこの時だけはそ〜っと蓋をして過ごす。
静寂から静寂が生まれ、静寂が静寂を守り続けているような、
そんな  命ある静けさ のある場所。

ここには素敵なノートが置いてあって、私はそれを読むのが好き。
誰でも何でも書いて良くて、人が書いたのを読んでも良い。
淡々と日々感じることを書いていたり、
今日あった嬉しかった事だったり、
今抱えている悩みだったり、
或いは誰かの悩みに答えていたり、
将来の夢を書いていたり、
次にノートを開くはずの人に語りかけていたり、
ただ詩を書いていたりする。
名前も顔もわからない、
でも過去のいつかに同じこの席に座ったであろう人たちが、
そんなことを書き綴ったノート。

日常生活では人の心の中や人生を覗くことなんて出来ないけど、
このノートには色んな人の人生の欠片や想いやかけひきのない丸裸の思考が
ありのまま綴られていて、
読んでいると、みんなそれぞれにそれぞれの胸の中で
ひりひりしながら、噛み砕き消化しながら、、恐れながら、喜びながら、
とにかく生きているんだなあと肌で感じる。
読んでいるとなんだか生きることそのものを客観的に見ることが出来て、
自分自身とも少し距離をおいて向き合えたりする。
この感覚、ヨガとも瞑想とも似てるんだなー。


2017年4月21日金曜日

これまでも、これからも。

 

今日は宝物の日。

おめでとうより、

ありがとう。

これまでも、これからも。


2017年4月17日月曜日

新しく踏み出す。


葉桜のお花見大満足。さくら、くんくん。

春。
気温や気圧の変動が身体に結構障ったりするけど、
それでもやっぱり春が好き。

肌に違和感が無くてまるで染み込んでくるような空気の質感のせいかな。
五感がいつもよりも際立ち体も心も能動的にいろんなものを感じようとしてる。
体中に色やヒカリや温度が溢れて、
それを言葉とか動きとか色とか味とか、
そういったことでとにかく表現がしたくなる。
そして解放される。

今年の春もあっという間に過ぎてゆく。
葉桜になってくると、
春が終わりに向けての準備を急いでいる気がして、少しさみしい気分。
でも葉桜には葉桜の美しさ。
少し切なげな桜色の中に「さあこれから!」っていう若葉の緑が力強い。
葉桜からは、「新しく踏み出す」そんな 前向きな気分をもらう気がします。


2017年4月13日木曜日

春を飲む。




毎年桜が咲くのを楽しみにして楽しみにして、
やっと咲いたと思ったらほんの一瞬の内に散ってゆく泡沫のさくら色を、
こうしてじ〜くり眺めていられるのがとても贅沢な気分。

 春になると1回は買ってしまう桜の塩漬け。
塩抜きをしてお湯を注いで、桜の花びらがその中でふわっとゆるんで、
桜茶って、なんか幸せ。
 
それにしてもさくらのピンク色は本当にかわいいなあ。

2017年4月9日日曜日

菜の花はなぜ菜の花か。


今年は菜の花をいつもよりも沢山食べている。

ほんのり苦くて、これは目覚めの味だな。
冬の間眠っていた体の中を目覚めさせるような、
新しい季節始まるよーって教えてくれるような、そんな味。

先日、お昼に買ってきて夕方料理に使おうと思っていたら、
その日は暖かかったからかほんの数時間で蕾が膨らんでいた。
お花の部分も食べられるけれど、
もっと咲いた所が見たくなってそのままベースに挿した。

ところで、
菜の花はなぜ菜の花か。
あなたはどうしてロミオなのみたいなことではなく、
名前の由来としての、菜の花はなぜ菜の花か。

「菜」の字は食べられる事を表していて、
「食べられる花」という意味から『菜の花』と言うのですって。

本屋さんで春の花図鑑を見て、今年初めて知った。



2017年4月4日火曜日

日常という特別。




ウォーホルの“flowers”に似てる気がして何となく撮った。

ウォーホル“flowers”を手掛けるに当たりモチーフにしたのはなんと

雑誌に掲載されていた一般の人物の投稿写真だったと言う。

黒澤映画のオムニバス『夢』の中で

ゴッホを題材にした作品を観たときも思ったけど、

どれ程の名画や有名な写真にも、

その背景には何の変哲もない日常が広がっていたりするんだなと思う。

むしろほとんどがそうなのかもね。

私たちだってきっとそうなんだろう。

何の変哲もなさそうな日常にも沢山の特別が詰まっていると言うこと。

例えば‘日常’をランダムに輪切りにしたって、

探せば実はどこにでも素敵がたっぷり含まれているのかも知れない。

ただ、それを見い出すか見い出さないかが、

大きな違いを生むのであって、

何も特別な事はない、

ものの捉え方一つ。


よく見るような種が、見たこともない花を咲かす。

だけど、実はそれって沢山の可能性の一部であり、

起こって当然の出来事でもある。

日常という特別、特別という日常。



2017年3月22日水曜日

『夢』




高円寺の高圓寺の中で、1本だけ夢みたいにきれいに咲いた八重桜に出逢った。

まるで台湾花布の絵のよう。

いいなあ、春は。

歩くだけで心の中にいい香りが舞う感じがする。



それにしてもこの八重桜を離れた所から座ってぼんやり眺めていると、

黒澤監督のオムニバス作品『夢』の中の「桃畑」を思い出した。



"男の子を責め立てる雛人形たち"という一見ものすごい状況。

この雛人形たちは実は、お屋敷の庭で切り倒された桃の木の化身。

男の子は泣きながら「桃の木が見られなくなった事は僕はとても悲しいんだ」と訴えると、

その言葉を聞いた桃の化身たちは「この子は私たちの為に泣いてくれた」と戸惑いながらも許し、

お礼に最後の舞を男の子に披露する。

奏でられる雅楽と美しい舞に男の子の心は段々晴れて彼らのところへ駆け寄ると、

突然すべてが消えてしまい、残ったのは沢山の桃の切り株だけ。

男の子は立ち尽くす。

でも最後に1本だけ小さな桃の木が残されていて少しだけ希望を感じさせてくれたのは

黒澤監督の優しさだったのかな。


映像は美しく審美的な要素を沢山垣間見るこの作品だけど、

最終的なメッセージは「人間は自然破壊をもうやめなくては」だと思う。


そうだ。この『夢』の中で一番怖いけど一番凄いなと思う強烈な作品がある。

原発事故の恐ろしさを伝えた「赤富士」

富士山の噴火で原子炉が爆発、逃げ惑う人々、色の付いた放射性物質(勿論夢の中での設定なのだけど、これがまた実際のことと想像してみるとなんとも言い難い怖さがある。見えないのもこわいけど見えるのはもっと怖いのかも。)が襲ってくる様子、子どもを抱えて絶望するお母さん。

見てみるとこの作品は1990年の作品なのだけど、

私たちが今でこそ恐れたり痛感していることを

黒澤監督はこの時代から訴えていたのかと思うと、もう畏怖の念を抱く以外に何もない。


黒澤監督も、そして清志郎も、

生きていたなら今の日本を見てどう思うのだろう。どんな言葉にするのだろう。

2017年3月2日木曜日

どんな素敵なコト。


釉薬の柔らかさと完璧じゃない丸に心が優しくさせられて、一瞬で好きになった。

POTPURRIのMulet。 

ここにこれから沢山の美味しいものと沢山の色とりどりの時間や気持ちを乗せたくて、

一番大きなサイズを選んだ。



一番最初に乗っけたのは春の緑色お野菜。

春、始まったもんね。

 春は冬の間に溜め込んだものを排出する季節。

旬を丁寧に頂いて、体も心も要らないものは手放しますか。

さあ、また新しい1歩。


わくわくするなあ。

賑やかな春にしてゆこう。



私たちもこんな風に自分たちのまっ白なプレートに、

ある時は沢山気持ちを詰め込んでみたり

ある時はわざと空白を作ってみたりしながら日々を営んでいる。


これから、 どんな素敵なコト乗せよっか。



2017年2月24日金曜日

ふと手を止めてみたり、 ふと目を留めてみたりすることで。


日常のルーティンの中にある何気ない光景や手しごとも、

ふと手を止めてみたり、

ふと目を留めてみたりすることで、

「あたりまえ」の中に久しく埋もれている

鮮やかさであったり形や質感に

改めて感動したりする。


いつもの場所でのいつもの料理。

でも「いつもの」流れを少し変えてフォーカスする場所少しズラしただけで、

お野菜がね、ふとすごく綺麗だったんです。

ああ、最近こういう美しさ結構見逃してたなーって。


と、そんなこんなを思いながら本日のキヌアサラダ出来上がり。
   
  
そうそう、話は変わるけどキヌアって本当に優秀。

我が家でも長いことお世話になっているけれど、

まずずっと飽きずに頂けているもんね。

そして

高タンパク、食物繊維、カリウム、カルシウム、マグネシウム、リン、鉄分、葉酸・・

あビタミンB類も、栄養がとにかく豊富。

さらにどんなお料理にも取り入れやすい。

栄養価も汎用性もずば抜けて高いのだな。

素敵じゃないですか。

そう、それにね、

この小さな穀物が途上国の飢餓や栄養失調の解決の一端を担えるかも知れないと。


実力があってオールマイティ。

メインでも輝けばサイドでも生きて周りも活かせる。

そして世界の問題にも対応できるパワフルさ。


おー。なんだか万能。

これが人だったら、スーパーマンだね。


あ。
だから スーパーフードなのか。



2017年2月22日水曜日

miniminimini mac


ミニチュア好きの私にとって涙が出そうなほど嬉しいプレゼントを戴いた。

ちっちゃなmac。

の、鏡!

なんだこりゃ♨ アルミの素材感もうりふたつ。

こんなに小さいのにぴったりうりふたつ!

キーやトラックパッドまでこんなに忠実に再現。うりふたつ。


もう本当にかわいい。
使うよ〜・・・もう毎日使うよ〜。


これを街で見つけた時に私のことを思い出してくれたお気持ちそのものが、
私にとって素敵な素敵なプレゼント。
全部まるごと宝物です。
 
有難う。
うれしいなあ、しあわせだなあ。

2017年1月8日日曜日

えーっと・・ごぎょうはこべらせりなずな・・


笑顔で抱きしめて年を終えて、
笑顔で抱きしめて年を始めた。
穏やかに、幸せ。
年の変わり目はただの一日だけど、でもやっぱり少し特別だった。

松の内は今日明けた。

ざわつき、静けさ。色彩や内臓の感覚。
年末年始の独特の空気感の中に何日か居たかと思ったら、
何事もなかったような顔してあっという間に日常が戻ってきた。

七草粥は今年も美味しかった。
古くは中国から伝わり習慣が広まったのは江戸時代のようだけど、
大切な人の健康や幸せを願うことは何時の時代にも代わりはないのだなあ。

先人から脈々と受け継がれる、これは愛。