高円寺の高圓寺の中で、1本だけ夢みたいにきれいに咲いた八重桜に出逢った。
まるで台湾花布の絵のよう。
いいなあ、春は。
歩くだけで心の中にいい香りが舞う感じがする。
それにしてもこの八重桜を離れた所から座ってぼんやり眺めていると、
黒澤監督のオムニバス作品『夢』の中の「桃畑」を思い出した。
"男の子を責め立てる雛人形たち"という一見ものすごい状況。
この雛人形たちは実は、お屋敷の庭で切り倒された桃の木の化身。
男の子は泣きながら「桃の木が見られなくなった事は僕はとても悲しいんだ」と訴えると、
その言葉を聞いた桃の化身たちは「この子は私たちの為に泣いてくれた」と戸惑いながらも許し、
お礼に最後の舞を男の子に披露する。
奏でられる雅楽と美しい舞に男の子の心は段々晴れて彼らのところへ駆け寄ると、
突然すべてが消えてしまい、残ったのは沢山の桃の切り株だけ。
男の子は立ち尽くす。
でも最後に1本だけ小さな桃の木が残されていて少しだけ希望を感じさせてくれたのは
黒澤監督の優しさだったのかな。
映像は美しく審美的な要素を沢山垣間見るこの作品だけど、
最終的なメッセージは「人間は自然破壊をもうやめなくては」だと思う。
そうだ。この『夢』の中で一番怖いけど一番凄いなと思う強烈な作品がある。
原発事故の恐ろしさを伝えた「赤富士」
富士山の噴火で原子炉が爆発、逃げ惑う人々、色の付いた放射性物質(勿論夢の中での設定なのだけど、これがまた実際のことと想像してみるとなんとも言い難い怖さがある。見えないのもこわいけど見えるのはもっと怖いのかも。)が襲ってくる様子、子どもを抱えて絶望するお母さん。
見てみるとこの作品は1990年の作品なのだけど、
私たちが今でこそ恐れたり痛感していることを
黒澤監督はこの時代から訴えていたのかと思うと、もう畏怖の念を抱く以外に何もない。
黒澤監督も、そして清志郎も、
生きていたなら今の日本を見てどう思うのだろう。どんな言葉にするのだろう。