ウォーホルの“flowers”に似てる気がして何となく撮った。
ウォーホル“flowers”を手掛けるに当たりモチーフにしたのはなんと
雑誌に掲載されていた一般の人物の投稿写真だったと言う。
黒澤映画のオムニバス『夢』の中で
ゴッホを題材にした作品を観たときも思ったけど、
どれ程の名画や有名な写真にも、
その背景には何の変哲もない日常が広がっていたりするんだなと思う。
むしろほとんどがそうなのかもね。
私たちだってきっとそうなんだろう。
何の変哲もなさそうな日常にも沢山の特別が詰まっていると言うこと。
例えば‘日常’をランダムに輪切りにしたって、
探せば実はどこにでも素敵がたっぷり含まれているのかも知れない。
ただ、それを見い出すか見い出さないかが、
大きな違いを生むのであって、
何も特別な事はない、
ものの捉え方一つ。
よく見るような種が、見たこともない花を咲かす。
だけど、実はそれって沢山の可能性の一部であり、
起こって当然の出来事でもある。
日常という特別、特別という日常。