2014年10月1日水曜日

こんな時間にとりもなおさず。





素敵な場所に出かけて、透明な水と透明な空気と透明な光りを沢山吸収した。
透明はその場にしか存在しなくて、残念だけどカメラでは持って帰れなかったな。
きれいだった。
透明 って、なんてとりとめもなく神々しい状態なんだろう。
見て、吸って、飲み込んで、無限の可能性が身体のどこまでも突き抜けた。

それにしても、水も空気も光りも。
色がなく形もないのに
それでもその存在は確かにそこに「在る」のを見ていると
おしゃかさまの言ったあの言葉はやっぱりすごい。

ブッダが「空」と呼んだそれは、現代で言う「原子」であり「本質」で、
「現象」の事をブッダは「色」と呼び、
目に見えないものが確かに目に見えるものを生み出している訳で。

原子が分子となって物質を形作るのだし、
目に見えずとも本質が現象を成り立たせている。

空すなわちこれ色なり。で、逆もまた然り。

この言葉の裏には、世は何事も常にあらずだよという刹那的な意味があって、
さらにその中に
「だからあまり物事に執着しすぎず軽やかに生きようね」っていうゆるふわ系と、
「だからこそ今この瞬間を完全燃焼しようぜ」って言うアツイ感じの
どちらにも取れる意味合いが込められている気がするんだけど、
これってたどり着くのだろうか。


そもそも今だって全く色も味も形もないものの話から
思考がこういう風に文字になってる事すら空即是色。

ああ、もうこれは飽和です。

でも今日の所はポジティブな解釈で留まろう。         
頭の上の空はもともと無色で透明だからこそ光によって
群青色にでも茜色にでも黄金色にでもなれるのだから、
私たちの人生が「すなわち空」であろうが
「すなわち空」であるだけにいかなる可能性も秘めているのよと言う風に。