2007年8月22日水曜日

何故か。

そろそろ一週間経つのにまだ焼き付いてる。
空港に向かう東京モノレールからの風景。

お天気の良すぎた日の夕陽は燦然と眩しくて、
遠くのビル郡もオレンジ色に輝き、
暑いけれどもなかなか美しいなぁなんて思いながら、
また、少し眠たくもあり、
ひたすらぼーっとしてた。

天空橋を過ぎた辺りだったかな、
水辺沿いを自転車を押しながら歩くおじいちゃんの姿が目に入りました。
彼が足を止めてふとモノレールを見上げたところでその風景は窓枠から外れた。
やけに胸に強く映った風景はその一瞬。

おじいちゃんが見上げた瞬間に「あ、今わたしは彼の景色だ」と、思った。

一瞬の景色。
偶然に垣間見たその内の一コマ。
その中に私と同じ様な、けれど全く違う主人公のストーリーが沢山詰まっていて、それぞれがこの世に2つと無く、そこはかとない。

私にとって、景色として一瞬通り過ぎたおじいちゃん。
と、私もまたあのおじいちゃんにとっての一瞬に流れた景色のひとつに過ぎない。

こんな事考えていたら
なんか、
なんか、急に
人の人生ってとてつもなく儚くて、けれど懸命に輝き、健気だと、しきりにそう思えてならなかった。

それぞれが生きてるんだって当たり前の事が、何故か不思議に思えて。

あの僅か一瞬のオレンジ色の風景が、強烈に鮮明に心に刻まれてる。

おじいちゃん、げんきでね。

2007年8月20日月曜日

てんねん様

「わんちゃんと良く一緒にいるおさるさんね、あの子、うどんを作ったのよ。」

いきなりこう切り出したのは、母陽子。

彼女はそう、てんねん様。


なんの前触れもなく唐突に出現し、私の脳内を行き交うおさるとうどん。

ふむ。
どうも、志村けんの番組に出てるブルドッグ・ジェームズ君と仲良しのチンパンジー・ぱん君の事を言いたかった様。

頭の良いぱんくんは、
TV番組の中で、
うどん作りの殆ど全行程を経て、自分で実際にうどんを作っては食べたらしいのです。

それはすごい。

職人さんの隣に立ち、
見様見真似で、うどん粉を混ぜるところからはじめ、こね、足踏みし、
粉をまき、打って、延ばし(さすがに切る作業は人の手で施したそう)
熱湯で茹で、あげて冷水にさらし、そして、食べた。

確かにぱんくんすごい。

でも人をここまで巻き込む母の天然力もこれまたすごいと思った午前0時。

そう言えば母、
「リップスライム」
の事をどこかで聞き間違えたらしく
「ミックスダンゴ」
って言っていたな。

2007年8月13日月曜日

最後のイチゴ、完食。


その日は何故か、
朝から心がずきずきと疼いていて、
過ぎる時間の1分1秒が惜しくて仕方がなかった。
卒業式の日の朝の気持ちに似ていると思った。

何もないところから始まった『HEAVEN』は、かつて語られた事のないお話だから、
『HEAVEN』の中での自分に出会うには、
それぞれが与えられた役を自分なりに噛み砕き消化し、
吸収してそれらを積み重ねるしか他に術がなく、
初めは誰もが自分探しに戸惑っていた様子。
真似しようにも出来るものが無く。

だけど、最後にはみんな、もう一人の自分を見つけていた。
それどころか、見つけては愛してた。
共演者の子達が沢山の気持ちを教えてくれたから、私は分かってる。

本番が近付くにつれて、誰もが「寂しいね」と呟く様になっていて、
同時にその分想いも深まって、年齢・性別・経験を超えて皆が「同志」でした。
この作品の中に居られて幸せだなあって思った。

一人ひとりの想いがあまりにも溢れている気がしてならなくて、涙が出た。

何が出来た、何がうまく行かなかったというのも大切かも知れない。
だけど、
『思いを伝える』と言う事の根底にある、一番大切な‘こころ’が
今回はすごーく詰まっていたと思います。

「皆が共有する気持ちが舞台に乗っかってたのが分かった」って
観にきてくれていたある友人が言ってくれた。
大好きな人たちとの共演。

素敵な時間。
みんなが大好きだった。

最後のイチゴは素晴らしく味わい深かった。



2007年8月9日木曜日

もうすぐ最後のイチゴ。

ポアントをまた黒に染めた。
今日潰しちゃったから。
さっきスプレーして今ベランダに干しているところ。

明後日の本番は
早く来て欲しくて
でも来ないで欲しくて
なんかさみしい。

ケーキを食べていて、
最後まで楽しみにとっておいたイチゴ。
いざそのイチゴに差し掛かったら何だか今度はもったいなくて、食べたくない様な、
何かそんな気分。

一緒に踊っているみんなが大好きで、すごく充実している日々でした。
それが明後日終わっちゃうなんて。

初演の作品だから、
ゼロの地点からみんな始まったから、思い入れが強すぎて。

さみしい。