素敵な場所に出かけて、透明な水と透明な空気と透明な光りを沢山吸収した。
透明はその場にしか存在しなくて、残念だけどカメラでは持って帰れなかったな。
きれいだった。
透明 って、なんてとりとめもなく神々しい状態なんだろう。
見て、吸って、飲み込んで、無限の可能性が身体のどこまでも突き抜けた。
それにしても、水も空気も光りも。
色がなく形もないのに
それでもその存在は確かにそこに「在る」のを見ていると
おしゃかさまの言ったあの言葉はやっぱりすごい。
ブッダが「空」と呼んだそれは、現代で言う「原子」であり「本質」で、
「現象」の事をブッダは「色」と呼び、
目に見えないものが確かに目に見えるものを生み出している訳で。
原子が分子となって物質を形作るのだし、
目に見えずとも本質が現象を成り立たせている。
空すなわちこれ色なり。で、逆もまた然り。
この言葉の裏には、世は何事も常にあらずだよという刹那的な意味があって、
さらにその中に
「だからあまり物事に執着しすぎず軽やかに生きようね」っていうゆるふわ系と、
「だからこそ今この瞬間を完全燃焼しようぜ」って言うアツイ感じの
どちらにも取れる意味合いが込められている気がするんだけど、
これってたどり着くのだろうか。
そもそも今だって全く色も味も形もないものの話から
思考がこういう風に文字になってる事すら空即是色。
ああ、もうこれは飽和です。
でも今日の所はポジティブな解釈で留まろう。
頭の上の空はもともと無色で透明だからこそ光によって
群青色にでも茜色にでも黄金色にでもなれるのだから、
私たちの人生が「すなわち空」であろうが
「すなわち空」であるだけにいかなる可能性も秘めているのよと言う風に。