2007年12月15日土曜日

人が一人で生きて行けない動物でよかった。



今年も残すところあと僅かで、
毎年この頃になると微かな焦燥感、
そして冬の匂いと一緒に独特な懐古的な気持ちを味わうことになる。

ただ、今年はいつもと少し違うのは、次の扉をちょっぴり開いてみた様な、
もしかしたらまだノックした程度かもしれないけれど、
それでも新しい風が吹き込んでくる感覚をにわかに感じてる。
うまく言葉に出来ないけど。

実家の二階の窓で昔からやっていたのと同じ様に寄りかかっていると、
一瞬小さな頃の自分と並んで景色を眺めている感覚に陥ってハッとした。

あの頃、もっと背の小さかった頃、ここからどんな事を考え感じていたかな。
年月が経ち、身長も伸び歳も取り、
広く見渡せるようになった分だけ目を伏せたくなる現実にももちろん出遭うけれども、
それが歳を重ね大人になるということなのだろう。
今私は自分の志について、この先の時間をどう味わうかについて、
そして大切な人たちについてじんわり想っています。

人が一人で生きて行けない動物でよかった。
だって、それ故にお互いにぬくもりを放ち、こんなにも優しいものはないと思うから。
それは距離も超えるし器用さも選ばない。

今年どれ程の人とすれ違っただろう。
その内にどれ程の人と目を合わせ言葉を交わしただろう。
そして変わらない顔ぶれの皆とはそれぞれにどんな時間を共有出来ただろう。
生きていると嬉しいことも、もちろん悲しくて泣いてしまう事もあります。

だけど何よりも、
気付けばいつもそっと傍にいてくれる人たちに感謝のこころが止まなくて、
何はともあれそれだけで今年も幸せだったと、
1年の節目に差し掛かろうとする今、思うのです。


2007年10月3日水曜日

心の宝物になる。


言葉が役に立たない時もある。
世界一大切なものに触れている時、
あまりにも美しいものを目の前にした時、
時間を噛み締めている時、
失いたくないと思う時。

いくら言葉に表そうとしても思い付く限りのどの言葉も取るに足らず、
その想いは溜め息にしかならなくて、
もどかしさでいっぱいになる。

だけど、
そうした分だけ胸の中を巡った想いは、心の宝物になる。

2007年9月7日金曜日

舟の別れ。

飛行機の中で初めて聴いたすごく素敵な曲。

三線の音のするその曲は、ちょっと時が止まっているような雰囲気で、

どこかの島の夕暮れの様な、
お昼寝で見た夢の様な、
小さな頃の思い出の様な曲でした。

儚くて、優しくて、ちょっと悲しかった。
もう一度聴きたいな。

2007年8月22日水曜日

何故か。

そろそろ一週間経つのにまだ焼き付いてる。
空港に向かう東京モノレールからの風景。

お天気の良すぎた日の夕陽は燦然と眩しくて、
遠くのビル郡もオレンジ色に輝き、
暑いけれどもなかなか美しいなぁなんて思いながら、
また、少し眠たくもあり、
ひたすらぼーっとしてた。

天空橋を過ぎた辺りだったかな、
水辺沿いを自転車を押しながら歩くおじいちゃんの姿が目に入りました。
彼が足を止めてふとモノレールを見上げたところでその風景は窓枠から外れた。
やけに胸に強く映った風景はその一瞬。

おじいちゃんが見上げた瞬間に「あ、今わたしは彼の景色だ」と、思った。

一瞬の景色。
偶然に垣間見たその内の一コマ。
その中に私と同じ様な、けれど全く違う主人公のストーリーが沢山詰まっていて、それぞれがこの世に2つと無く、そこはかとない。

私にとって、景色として一瞬通り過ぎたおじいちゃん。
と、私もまたあのおじいちゃんにとっての一瞬に流れた景色のひとつに過ぎない。

こんな事考えていたら
なんか、
なんか、急に
人の人生ってとてつもなく儚くて、けれど懸命に輝き、健気だと、しきりにそう思えてならなかった。

それぞれが生きてるんだって当たり前の事が、何故か不思議に思えて。

あの僅か一瞬のオレンジ色の風景が、強烈に鮮明に心に刻まれてる。

おじいちゃん、げんきでね。

2007年8月20日月曜日

てんねん様

「わんちゃんと良く一緒にいるおさるさんね、あの子、うどんを作ったのよ。」

いきなりこう切り出したのは、母陽子。

彼女はそう、てんねん様。


なんの前触れもなく唐突に出現し、私の脳内を行き交うおさるとうどん。

ふむ。
どうも、志村けんの番組に出てるブルドッグ・ジェームズ君と仲良しのチンパンジー・ぱん君の事を言いたかった様。

頭の良いぱんくんは、
TV番組の中で、
うどん作りの殆ど全行程を経て、自分で実際にうどんを作っては食べたらしいのです。

それはすごい。

職人さんの隣に立ち、
見様見真似で、うどん粉を混ぜるところからはじめ、こね、足踏みし、
粉をまき、打って、延ばし(さすがに切る作業は人の手で施したそう)
熱湯で茹で、あげて冷水にさらし、そして、食べた。

確かにぱんくんすごい。

でも人をここまで巻き込む母の天然力もこれまたすごいと思った午前0時。

そう言えば母、
「リップスライム」
の事をどこかで聞き間違えたらしく
「ミックスダンゴ」
って言っていたな。

2007年8月13日月曜日

最後のイチゴ、完食。


その日は何故か、
朝から心がずきずきと疼いていて、
過ぎる時間の1分1秒が惜しくて仕方がなかった。
卒業式の日の朝の気持ちに似ていると思った。

何もないところから始まった『HEAVEN』は、かつて語られた事のないお話だから、
『HEAVEN』の中での自分に出会うには、
それぞれが与えられた役を自分なりに噛み砕き消化し、
吸収してそれらを積み重ねるしか他に術がなく、
初めは誰もが自分探しに戸惑っていた様子。
真似しようにも出来るものが無く。

だけど、最後にはみんな、もう一人の自分を見つけていた。
それどころか、見つけては愛してた。
共演者の子達が沢山の気持ちを教えてくれたから、私は分かってる。

本番が近付くにつれて、誰もが「寂しいね」と呟く様になっていて、
同時にその分想いも深まって、年齢・性別・経験を超えて皆が「同志」でした。
この作品の中に居られて幸せだなあって思った。

一人ひとりの想いがあまりにも溢れている気がしてならなくて、涙が出た。

何が出来た、何がうまく行かなかったというのも大切かも知れない。
だけど、
『思いを伝える』と言う事の根底にある、一番大切な‘こころ’が
今回はすごーく詰まっていたと思います。

「皆が共有する気持ちが舞台に乗っかってたのが分かった」って
観にきてくれていたある友人が言ってくれた。
大好きな人たちとの共演。

素敵な時間。
みんなが大好きだった。

最後のイチゴは素晴らしく味わい深かった。



2007年8月9日木曜日

もうすぐ最後のイチゴ。

ポアントをまた黒に染めた。
今日潰しちゃったから。
さっきスプレーして今ベランダに干しているところ。

明後日の本番は
早く来て欲しくて
でも来ないで欲しくて
なんかさみしい。

ケーキを食べていて、
最後まで楽しみにとっておいたイチゴ。
いざそのイチゴに差し掛かったら何だか今度はもったいなくて、食べたくない様な、
何かそんな気分。

一緒に踊っているみんなが大好きで、すごく充実している日々でした。
それが明後日終わっちゃうなんて。

初演の作品だから、
ゼロの地点からみんな始まったから、思い入れが強すぎて。

さみしい。


2007年6月20日水曜日

ふーちゃんふがし。

最近のお気に入りのおやつ。

その名は「ふーちゃんふがし」

どこが美味しいか問われても、うまく答えられそうにないふーちゃんふがし・・・

好きになってしまった!












2007年5月30日水曜日

壺山家、三男坊と四男坊。


三男坊・柴犬の空。
そして
四男坊・ミックスの大地。

いつも二人くっついて庭をうろうろしている仲良しの彼らが先日とんかつを巡り争った。

いつもの食事は栄養がちゃんとしたドッグフードだけと決めているのだけど、
たまに抜け駆けをする人が出てきて禁断のおやつをあげることがなる。
それはある時は父、ある時は母、そしてある時は私。

その日は私が久し振りに帰省していたこともあり、
母と共犯でミニとんかつ(のちいさな中身)を空と大地にあげようとした。

庭に出て、彼らを呼ぶ。
2つのミニとんかつ(のちいさな中身)を挟んで向かい合い、
彼らはいつもの様にお利口さんにおすわり。

とんかつに目をキラッキラさせる空と大地。

「いいよ♡」と言おうと思ったその時、大地が逃げた。

自分の分、そしてなんとソラの分まで・・2つのとんかつを口に押し込みながら。

リスのように頬を膨らませ、
駿馬の如く走り去るダイチの後ろ姿を、
空、母、私の3人は唖然と見送った。

なんだ、あの大地の後ろ姿。

一瞬にして消えた自分のとんかつを黒豆の様なつぶらな瞳でクルクルと探す空。

とても残念だったねそら。

普段おとなしいのに、いきなり家出したりする大地。
フセをした姿は、「いなり寿司」以外の何者でもない空。

オイタもするけど、
やきもち焼きだけど、
抱きしめたらたまにくさいけど、
可愛くてどうしようもない実家にいる二人の弟!

普段は会えないから、寂しいな。


2007年5月20日日曜日

朝の時間に。

早く起きすぎちゃった。
朝の5時です。

なんて快晴。
こんな空の日はカーテンをシャッと開けるべき。
ベランダに出てみたら少し歩きたくなり、近辺を一周してみた。
人が少ない、車が少ない。
空気がいっぱい。空が青い。 すっぴんで歩ける。
はなうた出ちゃうもんね。

家に戻って来て、日曜のこの時間の番組って一体どんなだろうと
日頃全く見ないTVをつけてみると、
何と「渡辺篤史の建もの探訪」
懐かしい・・好きだったよ〜まだ続いてたんだ。
私が小学生の頃に放送してたから、もう何年になるのだろう。

次には「ビックリマン」のアニメが始まったからびっくりした。
またまた懐かしい。
これはもっと小さいとき。
子供の頃流行ったもんね。
兄二人に無理矢理混ざりビックリマンチョコに舌鼓を打ちつつ、
ビックリマンシールの交換に精を出していた日々を思い出す。
ちなみに筋ケシでも遊んでいました。

男兄弟だったからいつもやんちゃだったな。
色々思い出す。

兄たちが父に怒られた時には関係ないくせに一緒に泣き裸で家から逃げ出したことや
三才の七五三で着物を着せてもらう予定の何日か前に、
何を思ったか自分で前髪を付け根も付け根からちょっきん。

扱う事を禁じられていた、大きな置型ライターをこっそり持ち出し、
ボタンを試しに押してみたとたん火がつき眉毛が燃えたことも、
そう言えばあった。  
一番上の兄が駆け付けて炎の眉毛をよそに呆然とする私のおでこをひたすら素手で叩き、火を消してくれたことが鮮明に残っている。
そのあと母が泣いていた。

一昨日のごはんがたまに思い出せなくなるのに、
子供の頃の記憶は、こんなに鮮明に残ってるから、ふしぎ。

2007年5月14日月曜日

言葉にならないほどの。


「ありがとう。」

相手があるからこそ言える感謝の心。

「ありがとう」が言える時点で、人は幸せなんだよね。
それは、誰かが自分に、感謝できる優しさを分けてくれた証拠だから。
自分にとって、そういう存在が在ると言う事自体が本当に幸せ。

沢山の人がおめでとうをくれた。

ありがとう。

歌ってくれて。
覚えていてくれて。
メールをくれて。
遠くから電話をくれて。
内緒で驚かそうと計画してくれて。
そして、
いつも、深いところで支えてくれて。
離れていても傍にいてくれて。

本当に、本当に。

近頃ものすごく、
生きていられる事に感謝の気持ちが溢れる。

守りたいと強く願うものを見つけたから。
貫き通したいと想うものに出逢えたから。

手に入れたくても叶わないもの、
求めずとも常に身近に在るもの。

もちろん全てには意味も価値もあり、又、無駄はない。
それだけでも十分なのに、それ以上を実感する今に、
泣きそうになるくらいありがとうと言いたい。

こんなに足早な時間の中に生きている以上、
中身が置いてかれない様にしっかり歩んで行きたいな。

言葉にできないほどのありがとうを今ここに抱えています。
手放したくないよ。

2007年5月7日月曜日

りんごの穴の不思議。


りんごがない。

りんごがないよー。

袋の中を見ると、

確かに3つ買ったのに2個しかない。りんごが。

とそこで見つけた、穴。

袋の穴!

しかも綺麗にりんご1個分ほどの丸い穴。

こんな丸い穴・・どうやって・・。


これは・・りんご・・今頃どこかに転がってるな?
 

2007年5月6日日曜日

授かりもの。


「天使のくれた時間」を借りてたのになんとなく観そびれていて昨日やっと観た。

なんだか、やたらに「今」について考えちゃった。

これまでの人生の中で、ターニングポイントって数え切れないほどあったし、
またこれからも当然あるし。

「あの時、もう一つの選択肢を選んでいたら今どうなっているんだろう??」
なんて、たまに考えたりする。

自分でそう考えておきながら、ちょっと怖くなる時もある。

だって、自分の選んできた一つ一つの要素があるからこそ、
私は、みんなは、今ここに生きている訳で、
またそのうち一つでも欠けていたのならば、
愛する人や、大切な人たち、色んな宝物にも出逢えていなかったのかも知れないから、

「今」は偶然が作った奇跡だなって思った。



2007年4月3日火曜日

春のお話。



春の訪れを、何で感じますか?
暦?気温?さくら?

私は、匂い。 それも少しさみしい匂い。
10年前から、私にとって春の匂いはちょっぴりさみしい匂い。

今から10年前の春に、大好きだった祖父が他界した。
一緒にお買い物に行ったり旅行に行ったりする程私はおじいちゃんっこだった。

肝臓を患った祖父は入院の間、
家族の応援とともに精一杯命を繰り広げて生きたけれど、
幾度目かの引き潮のときに、
桜とともに空に舞い上がった。

息を引き取る前にとっても素敵なプレゼントを置いていってくれたんです。

「はるはるや 桜の行進曲」 

力弱い腕で、紙にその言葉を書き残し、
「はるはる、は、桜が散っていく様子も表しているんだ」
とゆっくり一生懸命説明してくれた。

悲しさに似つかわしくない程空が美しく、
太陽も柔らかくてそよ風の心地よい、
そんな、きれいな春の日でした。

10年経った今でも、 あの時の空気は今も鮮明に私の中に焼きついて離れない。
だからかなあ、春は涙もろくなってしまう。
今朝、とってもきれいな春の訪れを嬉しく思ったけれど、
歩きながらやっぱり鼻がつんとした。

いま、手の中にある大切なものを、手離したくなくて、 強く強く抱きしめたくなる。
仲間も、愛しい人も、思い出も、好きな歌も、 宝物がうんと大切に感じる季節。
何だか涙が出そうです。


2007年3月23日金曜日

角煮煮てます。



角煮、煮てます。


5分くらいなんだけど、この5分が命取り。

ここから離れると、きっと私はあっさりと次の事に気が行き、

この角煮たちの存在を忘れてしまうことだろう。

だからこの5分間、
 
絶対ここから離れないぞ!

2007年2月21日水曜日

思い出は。


今日、ひょんな事で中学・高校の時にお世話になった方に再会した。

思い出って、ほんとに宝物。
自体は形にこそ残らないけれど、
写真になったり、
歌になったり、
そこがまた可愛らしいと思います。

ひと時は同じ時間を共有した人たちが、
今はそれぞれの道の上で自分の時間を生きているんだと、
また、自分もその一人なんだと思うと、
簡単に‘感動’の一言じゃ纏まらない。

あの頃のみんな、どんな風に歩んでるのかなあ。
会いたいなあ。


2007年2月16日金曜日

ともしび。


キャンドルに火を灯すのが好き。

特にお風呂で灯すのが好き。

水に漂ってるような、
浮いているような、
何とも不思議な感覚になるから。


方法や状況は何でもいいけど、
こういう時間って、大切だなあと思う。

ちょっとだけ抜ける、こういう時間。

良いことがあった日も嬉しかった日もうまく行かなかった日も、
嫌なことがあった日も痛かった日も重たかった日も美味しかった日も。

眠りに就く前に明かりを灯して、
なんだかぼ〜っと。
少しは心が落ち着くよ。

「明日もまたいい日だといいな。」

「明日はきっとうまく行くといいな。」


最近、どうにもこうにもチカラが入り過ぎてしまって、
気付いたら奥歯をきゅっと噛み締めてることがよくあって、
大切な心が、ずっと緊張したまま。

乗り越えるべき壁だといい聞かせて、
歩を進めているつもりなのだけど、
たまに弱い自分も顔を出して、
腰が引けてしまったりする。

強く、大股で、堂々と歩けるようになりたいなあ。

2007年2月5日月曜日

やり場のない気持ち。


またイラクでテロがあった。

このニュースを目にしたのはいつものカフェ、
何気なく見た手元のモバイルニュースにて。

私の存在する居心地の良い快適なこの場所と、
イラクでの残虐極まりないこの現状の
今の瞬間のあまりもの大きなギャップに急に鳥肌が立って、
なんかいてもたっても居られなかった。

淡々と述べるだけのニュースの文字を通して、
その向こう側に広がる
空一面の灰を
響き渡る悲鳴を
流れる涙を、  

思ってみる。

ふと窓の外を見上げると、東京の空はいつにも増して青い気がした。

夕方の買い物時に人の集まった市場が騒然となり、
何の罪もない人たちが犠牲になっていく騒然とした風景を思うと
とてもじゃないけどやり場のない気持ちになる。

一瞬で無になる温度
一瞬で無になる笑顔
一瞬で無になる声
一瞬で無になる記憶


人がこんなにも儚く脆い事はきっと誰もが分かっているはずなのに、
刃物を押し当てると血が流れる事も知っているはずなのに、
それを平気で踏みにじる事ができるのも、また同じ「人」だなんて。

子供の頃、こけて擦りむいたひざ小僧の痛みを忘れないようにしないと。

キズ薬よりもお母さんのおまじないが効く気がしたあの心を忘れないようにしないと。

「悲しい」だけじゃなく、「自分の無力さを感じる」だけじゃなく、
ちりも積もって山ほどの大きなパワーになる様に、
私もその塵の一部に成れたらいいな。

今日は、やりきれない。