2016年11月15日火曜日
うたかたのかぼちゃの種。
かぼちゃのわた
の中から種を解して、
洗って3日位乾かすと、透明の薄皮がぱりっとしてくる。
そのぱりぱりを外して、
ハード種の中のソフト種を取り出したものを
少しのオイルとお塩で炒るとなんとも美味しいやさしいおやつになる。
3日掛かるこのおやつは一瞬でなくなる。
名付けて泡沫のかぼちゃの種。
売ってるのも美味しいのだけど、
手をかけたものって、
何かが特別に違って美味しいんだなー、
そこに加わるエッセンスって一体何なのだろうね。
って思ったけど、
自分じゃなくて一緒に食べる人をフィルターにして考えてみると、
それが何か分かる気がした。
2016年10月8日土曜日
鮭の切り身の箸置き。
鮭の切り身の箸置きを買った。
2016年10月2日日曜日
やさしい存在。
愛犬が寄り添ってくる。
柔らかくて温かくておひさまの匂い。
奥の方からトクントクンと伝わる鼓動、それがいつもやさしい。
ただただ心から愛おしくて何度撫でても足りなくて、儚くてなんかすごく泣きたくなる。
彼は私たちの多くを知っている。
私たちの宝物についてもその芽生えから知っている。
私たちの悲しみだって知っている。
どんな時だっていつも私たちに愛嬌に乗せた愛をひたすら運んできてくれて、
ただ想い、ただ愛することの素晴らしさを教えてくれる。
こんなに小さいけれどこんなに大きな存在。
ほんとうにやさしい存在。
2016年6月20日月曜日
満ちる前。
出番がやってきた。
透明の中にこれから
甘酸っぱくて青くて爽やかで切ない丸い実を
詰め込んでいく。
2016年6月8日水曜日
フレンチブルのお箸置き。
友人がプレゼントしてくれたフレンチブルのお箸置き。
のりおが沢山〜🐾
2016年4月14日木曜日
カマンベールチーズの箸置き。
カマンベールチーズの箸置き。
2016年2月8日月曜日
静かに見まもる。
過多で過剰な今の世の中でも本質はいつも変わらない。
美しさや幸せはシンプルな場所に見つかる。
2016年1月21日木曜日
かぶにちゃお。
いつもの八百屋さんできれいな蕪をみつけた。
先日の七草にはすずなとして登場してました。
暦の上ではもうすぐ春だもんねえ。
今は季節感あまり関係なく一年中買えちゃうけど、やっぱり旬は大切にしたい。
ちなみに今日は二十四節気のうち「大寒」です。
かぶ、煮ちゃお。
2016年1月14日木曜日
いつもすぐそこに。
おや。7つ前の記事に2015年の七草があるぞ。
ということはつまり2015年のブログ更新はたったの7回。
私事ですがブログ記事年間数自己最低記録を更新しました。
ブログは更新せずに記録は更新してしまいました。
ってねー。
何はともあれ、また年が新しく入れ替わり、
あっとも言わぬ間に松の内も明け、
年末年始特有の町の喧騒も落ち着き始めた。
なんだか愛おしい。
いつも通りの日常が。
幸せというのは珍しいものでも何でもなくて、
よく見ると日常の色んな所で小さく輝いて息している。
誰のどんな日常にも。
そのかけらをひとつひとつ見つけては手にとりそっと愛でながら生きよう。
記念日なんていらない。
毎日が特別です。
2015年11月21日土曜日
普通であることが難しくなってきている。
今世界で起こっている出来事を思うと自分が日常に感じる不都合や
それに対する言い分の殆どがどうという程の事ではないものと思い知らされる。
ただ平和であろうとする事は一体、どれほど難しいことなの?
今回のパリ襲撃、 その前日のベイルート連続自爆テロ、その前のロシア機事件・・
そもそもの発端、というか歴史から引き摺る政治的因果から手繰り寄せるとどこに辿り着けばいいのか、何を正義というのか、途方に暮れてしまうけど、
とにかく今、混沌の渦の中心に向かって世界の加速度が増しているのがすごく怖い。
私にとっては今回のパリ襲撃に関しては特に痛みを感じます。
18歳からの2年間はパリ近郊に住んでいたので、パリには恩師や仲間とよく訪れた場所、目に焼き付いている景色、その時の空気の匂いなどの肌身に刻まれる思い出が山ほどあって、ゆかりあるこの街が今あの時とは全く別の冷たい恐怖に包まれている事がとても悲しいです。
ニュースを追って新しい記事を探しては不安になって、でもただ祈るしかない事も辛い。
中近東やアフリカでは日常的にテロが起きているし、パリだけでなく世界の至る場所でこのような無秩序と無慈悲で練り上げられた様な悲しみが今もなお広がってる。
さらに深刻な流れになるのだろうと映る今後の先行きにそこはかとない恐ろしさを感じます。
もうこれ以上無実の人々の命が脅かされることないように願うばかり。
そして今回の一連でムスリムへの偏見で悲しい思いをする人が増えない事も心から祈ります。
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