2010年9月29日水曜日

天高く馬肥ゆる秋どんぐりも落っこちる。


ふと頭上にどんぐりの木。

このお母さんの木は、

一体これまでにどれほどの子どもたちを見送ってきたのか。


落っこちたどんぐりの実は、子孫を繁栄させる為に、

小さな殻の中でうごめくエネルギー。


2010年9月12日日曜日

チョコレートかキャンディーか。




この生活が全てでなく、
この日本の水準が基準でなくて、

欲しい、欲しくない
美味しい、美味しくない
したい、したくない

って
いつも当然のように嗜好の選択を繰り返し、
小さなwantなら
大体のことはままなってしまうこの国で、

これだけ選択肢と言うゆとりの中に在りながら、
そしてそうと気付きながらも尚、
そこに無いものを欲する自分もふと、居たりして
色々な想いが交錯して背中がぞわっとする。

井の中の蛙は
どうやって大海を知ったんだっけ?

豊かな国ほどそうじゃない国や地域を知らなければならないしそれが務めでもあると思う。

国境歴史文化信仰エトセトラ。
だから、
そう簡単には行かない訳ですが、

それでも、
同じ人間なのに与えられた今目の前の選択が

チョコかキャンディーか

生か死か
のこの差は一体なんなのだろうと思う。

世界のこのどうしようもないアンバランスを
途方もなく思うけど、
まとまる術もなく悶々とします。

ねえ。


2010年9月6日月曜日

何はなくとも。


今のこの生活はまるごと全部が奇跡なのだなあ
って、
空見てるといつも思う。

今在るものに感謝をしよう。

説明が付かない位あまりにも壮大なストーリーの中の
ほんの1コマのスペースに
皆がこうしてキュッと居合わせたんだと思うと、
全てがなんだか愛しい。

2010年9月1日水曜日

the painful。


国の行方がすこぶる気になる。
ここ2週間はさらに色々動きそうだけど、
こんな今にはもっと他にする事がある気がするぞ日本よ。

8月も今日で終わり。
毎夏のことではありますが、
夏の終わりはやっぱり切ない。

今日の夕方の空もまたとても美しくて、
マンションの上の方へ階段で駆け上がって、見た。
空全部が太陽に引っ張られてく様だった。
記憶の断片もいっぱい浮かんで過ぎていった。
夏が行くなあと思った。

この暑さに紛れていると、
まだまだ私たち夏の中に残っている感じがするけど、
確かに全部は流れて行ってるんだよ。

雑多で過多なこの時代。
大切なものが他にまぎれて消えてしまわないように、
手を離さないように、過ごさなくちゃと思う。

2010年8月10日火曜日

夕空。

昨日の夕方に遭遇した空。


ほんの一瞬。


電線のない場所をはやくはやく、


と探し回っているうちに、


消えてしまった。


怖いくらいに神々しくて。


人間の及ぶ場所ではないなって思った。


こんな空の下では敬虔な心境にならざるを得ませんでした。

2010年8月3日火曜日

ブラウンズフィールド。


ヨガヘヤの皆で千葉・いすみ市のブラウンズフィールドに出かけた。

豊かな自然に囲まれて人工物の感触をほとんど感じない場所。
自然音をBGMにヨガをして、
大地に触れて、
マクロビオティックのお食事を頂いて、
散歩、
何をするでもなくのんびり過ごし、
最後にメディテーション。

酸素の濃度が濃い。
呼吸がしやすい。
胸が開いて、視界が広がって、心も晴れ。
奥歯の力がふわっと抜けて、ほっぺたが緩んで、
みんなのとっても素直な表情。
何だか全てに角がなく、まるくてまるくて、穏やかで。

豊かな自然に包まれれば、何が自分に必要で、何が必要でないかがすぐわかる。
取り繕っているものがあるとすればそこにただただ違和感を覚え、
心から体から余計な全てを剥ぎとって大地に飛び込みたくなった。
それが本能という大地の血なのでしょう。

透明みどりの光とか、土の匂いと柔らかさとか、鳥の声や風の音に包まれると、
まるでお母さんのお腹の中にいるような安心感を味わうことが出来る。

母なる大地とは本当にいい言葉で、
大自然に放り出されると、私たちは大地の子どもだと気付いた。

2010年7月20日火曜日

まさかの大天使トマト降臨。



ミカエル的な、

ガブリエル的な、

ラファエル的な、

ウリエル的な、

あまエル!!!

甘くて美味しい。

ちなみに姉妹品の中玉トマトは「ちゅう太郎」だそうです。

2010年7月19日月曜日

イツカのいつか。


未来を想うとき、
「いつか」って言葉がよく浮かんでくるけれど、
考えてみれば今日、今のこの時だって、
イツカ の 「いつか」 なんだよね。

そう考えると、
そのイツカの自分に
顔向け出来る今の自分でありたい。





2010年7月10日土曜日

大きな街。

大きな街。

住んでる街から眺める新宿は好きだけど、
真下から見上げる新宿は少し苦手。

2010年7月6日火曜日

祝の島。


ポレポレで『祝の島』(ほうりのしま)と言うドキュメンタリを観て来た。

1982年より山口県上関町に持ち上がっている原子力発電所の開発計画に対し、
28年間生活をかけて反対を続けている瀬戸内海 祝島(いわいじま)の
人々の姿を追ったもの。

原発。
今はヨーロッパを中心に多くの先進国が
「脱・原発」に向けて動いているにも関わらずの、今、この開発計画。

原発の利点と言われている事は、
「エネルギーの生産コストの低さ」
「原料(ウラン)供給の安定性」
「発電時にCO2を排出しない」・・等が挙げられている。

けれど、
その裏付けが非常に不安定なもので、
たとえば「生産コストの低さ」に関しては
「残留放射能の為に、結局は原発解体時に莫大な費用を投じることになる」
とか、
「CO2を排出しない」という事に関しても
「排出しないのはエネルギー生産時だけであって、ウランの加工時にはCO2を排出する」
などなど・・
こうなると何が明確な利点と言えるかほんとに曖昧な状態で
色々交錯し過ぎて意味が分からなくなる。

何より、
エネルギー生産時に出る放射能廃棄物は無害な状態にする事は不可能で、
その処理方としては、
人体に影響がない所へ保管する、つまり「地下に埋める」という他に対処法がない。
それに被爆の問題なども、もう本当に恐ろしい。

チェルノブイリや東海村の原発事故でも言わずとも知れた放射能の恐ろしさ。
不安材料を自分たちから生産してまでの原発開発の本当の理由って何なのだろう。

上関町の現状が気になって検索してみたら、
2010年7月4日付で「海面の埋め立て区域を示す‘ブイ’が沖に再設置された」と言う記事があった。
という事は、じわりじわり開発の方向へ進んでいるという事なのかな。

祝島の人々が28年の間生活をもって主張してきた
【今の自分たちの代だけでなく、後世にも‘良きもの’を残さなくてはいけない】という想いがこのまま浮遊に終わらずに、良い形に繋がらなくちゃ・・と思う。

進化や発展は人類にとって必要だし、必然でそれが本能だとは思う。
だけど、
ナニとも天秤にかけられない命や歴史を前にして、
足るを知る、の清さを失っては全てが台無しになる気がする。

もう充分じゃないかなあ。
リアルタイムな利便性よりも、
これまで続いてきたしこれからも続いていくはずの歴史を守る方が
これからは大切じゃないですか?