少しずつ自分の居場所が見えて来た。
少しずつ自分のスピードも分かってきた。
今になりやっと分かり始めるなんて遅い気付きと言われるかな。
だけどこれが自分のスピードなんだろな、と思うから仕方ない。
イチゴのショートケーキを作ろう!
例えばね。
並べられた小麦粉、卵、バター、グラニュー糖、生クリーム、イチゴ・・。
ケーキを形作るのは、確かに今この目に見えてる小麦粉や卵やイチゴだけど、
その一つ一つにだって生い立ちがあり、目に見えない経過があり、
誰かの手や想いを経てやっとここに並んでいる。
全ての出来事は繋がっているのですね。
その時々が織り成す出来事は
それなりの価値と意味を持ち、
また必要であり必然であり、
細かく枝分かれした先の先の先までが要素の一つとして、
今この時を作ってる。
だけどその出来事の必要性って、
その時に分かれば悩んだり迷ったりせず便利なものを、
後にならなきゃ分からなかったりして不便だ。
何故か、何故かいつもそうなんだよね。
先に立つ者が後に続く者の支えに、
少しだけなってあげなさい、と言う事なのかな。
そうだとするとちょうど良い。
「支え」なんて大袈裟すぎる言い方だけど
自分の経験がもしも迷ってる誰かの選択肢の一つにでもなるなら、
その経験はそこで再び生きる。
な〜んてそんな私だって迷ってる事もあれば
頼りたいと思う人にはずいぶん甘えてるけれど。
沢山の人から助けて頂きながら、
行き詰まった時は選択肢を与えて貰いながら今ここにいるように、
私もその波に乗って、
ふと次の道を探す誰かがそれを必要とするなら、
自分のうちの何かを提示できる様でありたい。
それも表現の一つだ。
人のツナガリってそう言うエンドレスなものだと思ってるから。
昨日、気の置けない仲間で(一人足りなかったけど)夜遅くまで色々語っちゃったりして、
こんな事を改めて考えました。
いっぱい経験したい。
いっぱい吸収したい。
いろんな意味での表現者でありたいなあ。